残 -ZAN- 7P
「殺生丸・・・」 「・・・・・・」 弥勒は抱え込んでいた殺生丸の足をそっと床へ離し、乱れた襟元を閉じた。 自分がもうそれ以上の行為をするつもりがないのは分かっているはずなのに、殺生丸は人形のように横たわったまま。 どうやらもう本当に動けないらしい。 酷く顔色が悪い。・・・というより生気が無い。 予想以上に堂の結界の気と御神酒が効いているのではないか。 毒に毒を重ねた香油のせいだとはまったく気付かずに、とにかく弥勒は急いでドロドロに濡れた下部や怪我の処置をし、殺生丸の上半身を抱え起こした。 結界の効いている壁には触れないよう自分にもたれさせ、着物を着せて身形を整えてやる。 早くしないとこの妖怪は本当に死んでしまうのではないか。 そんな焦りさえ感じていた。 結界を解けば、いよいよ自分は殺されるかもしれない。 いくら犬夜叉の仲間であっても許容を超えた淫惨な悪事を働いたことくらいは分かっている。 でも自分ごときちっぽけな人間のせいでこの高貴な大妖怪の命を失わせるわけにはいかないのだ。 弥勒は念を唱え、錫杖をドンッと垂直に床に降ろした。 そこを中心に、青白い光の輪がブワッと一気に堂の外へ抜け、消えた。 同時に四隅に貼られた護符からも青白い炎が上がり、一瞬で燃え尽きた。 結界が解けたのだ。 しばらくし、殺生丸はゆらりと立ち上がった。 堂の結界が解かれたことで酒の霊力が抜けはじめたのだろう。そうなれば後はたちどころに回復してゆく。 体内に残る香油の毒は浄化され、半刻もすれば手の傷も消えるだろう。 自分を見向きもせず扉へ向かう殺生丸。 弥勒はその背後から殺生丸を抱き締め、髪に顔をうずめるように首元で囁いた。 「・・・・・・今日のこと・・・私は謝りませんよ。・・・貴方を欲したのは本当ですから。」 「・・・・・・」 怒っている? 呆れている? それとも酷い目に合って怯えている?・・・イヤ、まさか。 ・・・今、どんな顔をしているのだろう。 どんな気持ちなのだろう。 抱き着く自分を振り払わないのはもはやそれすら面倒になったからだろうか。 出来ればこのまま離したくない。 犬夜叉の元へなど返したくない。 無理だと判っていてまだそんな愚かな考えが身の内をくすぶる。 ・・・ああ、やっぱり良い香りがする。 髪なのか肌なのか。 混じり気がなくてどこまでも澄んでいる。それでいて微かに甘い・・・。貴方そのもののようだ。 「・・・殺生丸・・・私はもう本気で貴方を・・・」 「・・・・・・」 無意識に弥勒はしがみ付くように力いっぱい抱き締めていた。 「・・・・・・しゃ・・・」 殺生丸が何か小さく呟く。 「・・・犬夜叉が来る・・・・・・」 “犬夜叉が来る”。そう言ったのだ。 そう言われてみれば、何か強い妖気がこちらへ向かって来る気がしないでもない。 それにこの兄が言うなら間違いなく犬夜叉がこちらへ近付いているのだろう。 時間切れか。 「・・・また、いいタイミングで。」 弥勒はふっと残念そうに微笑し、体を離した。 扉を開けた殺生丸は弥勒に背を向けたまま無言で歩き出した。 「殺生丸さま。」 「・・・・・・」 「・・・もし・・・犬夜叉(あれ)が来なかったらどうするおつもりだったので・・・? もし私がまた結界を仕掛ければ貴方は・・・」 「・・・・・・」 あえて敬称を付けた呼び方で殺生丸に問いかけるが、殺生丸からの返事はない。 弥勒は何の呪詛も唱えていない護符をシュッと殺生丸に向けて放ったが、殺生丸は目にも止まらぬ速さで刀を抜き切って捨てた。 妖力は完全に戻っていなくても一瞬の隙もない、いつもの殺生丸。 弥勒はやはり残念そうに、少し寂しそうに、でもどこか安堵したように微笑した。 「・・・・・・それでは、またの機会に。」 その言葉に殺生丸はピタと歩を止める。 「二度とない。」 それだけ言うと殺生丸は今はもう暗い夜の山中へと消えていった。 「・・・貴方は魔性だ。」 堂に残された弥勒は独り呟いた。 魔性――――――――・・・だってそうだろう。 妖しく美しく気高い。 犬夜叉とあんな濃密な夜を過ごしながらすました顔で楓の村へ通い、りんと会っている。 自分がもしあの夜二人の逢瀬に出くわさなければきっと一生見ることのなかった殺生丸のあんな姿。あんな声。 男であれ女であれ誰もが貴方に惹かれるだろう。 そして狂う。 『犬夜叉』・・・あんな声で自分も名を呼ばれてみたかった。 求められてみたかった。 だけど貴方を腕ずくで無理矢理に抱いたところであんな風に乱れてはくれないのだろう。合意なく貴方を抱いても得られる快楽は一時で後に残るのは寂寞の想いだけ。 堕とすつもりが堕ちたのは自分のほうだった。 いっそ殺してくれれば良かったのに。 生きている限り貴方への想いは燃え上がるのを待ってジリジリと身の内を焦がし続ける。 この残酷な甘い棘は熱を持って疼き続けるだろう。 「・・・・・・殺生丸・・・いつか必ず貴方を―――――――・・・」 錫杖を手に、弥勒はお堂を後にした。 さくさくと帰路を辿りながら考える。 今夜の自分は失敗だった。 貴方がまさか泣いたりするから。 ・・・でも一つだけ。利点もあった。 あのタイミングで犬夜叉がやって来たことだ。 今頃二人はもう落ち合っているだろう。 殺生丸には身を清める時間もなかった。 着物や身体に付いた自分のにおいをどうするつもりなのか。 香木を焚き染めている法衣の匂いは殺生丸にたっぷり移っているはず。 犬夜叉が気付かないわけはない。 言い逃れは出来ない。 せいぜい嫉妬に狂った犬夜叉に壊れるまで抱かれればいい。 私の残した痕跡を恨めばいい。 そうして私の元へ来たあかつきには。 弥勒はほくそ笑み、落ち葉をグシャッと踏み付けた。 |
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7P (完) | ||
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