憑依




   


何処に居ても凌げそうにない豪雨。
雷鳴が轟く山中を珊瑚は一人駆けていた。

まだ昼だというのに鬱蒼と茂る樹木のせいで見通しが利かぬほど暗い。
昨晩から降り続く雨は朝には一層強まり嵐に変わる兆しを見せてはいたが、まさかこれほどの暴風雨になるとは。
とにかく洞窟のような場所を見付けなければ。


「法師さま・・・!」

どしゃ降りの中でも珊瑚の頭にあるのは己の身よりも愛しき男の安否。


嵐の予兆を分かっていながら雨の中珊瑚が家を出た理由。
珊瑚の夫である法師・弥勒。
弥勒が流行の病に倒れ、高熱を出したのだ。
犬夜叉が地念児から貰ってきた薬草は試したが人間特有のこの病には効かず、三日経った今朝になっても一向に下がらない熱に焦燥した珊瑚は万病に効くといわれる薬草を探しに楓の家を飛び出した。


轟音と閃光。
次には大地が割れるような音。
珊瑚の前で巨木が真っ二つに裂け火の粉を上げて倒れていく。
あともう少し早く歩を進めていたら命はなかっただろう。
だが、辺り一帯が照らされた一瞬の光の中で洞穴を見付けた。
さすがに今は薬草探しどころではない。
己が死んでは誰が薬草を持ち帰るのか。
苦渋の思いでやむなく珊瑚は先にある洞穴へと急いだ。

後になって判る事だが、それがまずかった。

弥勒の身を案じるあまり薬草探しに夢中になって知らず山の奥へ奥へと進み、何が潜んでいるやも知れぬ洞窟へ身を寄せた。

それが後に大惨事を引き起こすとは。
そして自身がその加害者になろうとは珊瑚はこのとき夢にも思っていなかった――――――








酷かった嵐が嘘のように消え去った夕刻。
珊瑚はひょっこり帰ってきた。

「ばかやろう、何処まで行ってたんだ!!!!嵐になんの分かってて出て行きやがって・・・!!」

姿を見るなり怒鳴り散らす犬夜叉に唖然とする珊瑚だが、皆に心配を掛けたのは十分解っていた。

「・・・あはは・・・ごめん、ごめん、あんな嵐になるとは思わなくってさ。でも初めに言っただろ。そんなに遠くまでは行かないって。」
「遠くまで行ってねぇならそんなボロ雑巾みてえにならねーだろが!」

珊瑚はまだぐっしょりずぶ濡れのまま。
見る限り手や顔、足の甲も切り傷だらけ。
暴風雨の中、動ける体力のぎりぎりまで山中を駆けずり回っていたのは明らかだ。

「・・・ったく、何考えてんだ、おめーは!」
「犬夜叉、まあもういいじゃない。無事に帰ってきたんだから・・・」
「そうじゃ、それより早く着替えんと珊瑚まで風邪を引いてしまうぞ!」
「・・・チッ、おら!」

かごめに宥められ、七宝の言葉にハッとした犬夜叉は手近にあった布を珊瑚の頭に無造作に被せた。

「・・・心配掛けてすまなかったね。・・・本当はさ、何処にあるかも分からない薬草を見付けるなんて無謀だって解ってたんだ。だけど法師さまが苦しんでいるのにじっとしてるなんて出来なくてさ・・・」
「珊瑚ちゃん・・・」
「・・・それよりさ、法師さまは?」
「大丈夫よ。容体は変わらないけど・・・」
「・・・そ。」

容体が変わっていない――――――
安堵すべきだが同時にそれは快方に向かっていないことを示している。
分かっていても気落ちする。

「じゃあ、あたしは着替えたら子供たちの様子見てくるよ。悪いけどかごめちゃん、先に夕飯の支度しててくれるかな。」
「あ、うん・・・」

元気のない作り笑顔を見せる珊瑚。
弥勒の病気が万が一移らないようにと子供たちは楓と一緒に離れに居る。
着替えを済ませ、離れへ向かう疲れた背中。
疲れているのは身体だけではないだろう。
あの嵐の中必死で探していたに違いない薬草。

「・・・珊瑚ちゃん、薬草は明日一緒に探しに行こう。」
「かごめちゃん・・・」
「あたしも一緒に行くよ!」
「りん。」

本当は今日だって行くと言って聞かない珊瑚の代わりにに犬夜叉が薬草を探しに出ようとしたが、雨で臭いが消えて嗅ぎ取れないし、そもそもどんな形と色なのかも犬夜叉は知らない。
否、誰が出向いたところでやがて来る嵐の中見付けられる筈もないことは明確だった。
それを解っていながら出て行った珊瑚。
あともう少し戻るのが遅ければ犬夜叉は薬草ではなく珊瑚を探しに飛び出していた。

「皆で行けばきっと見付かるわ。」
「ありがとう。・・・でももういいんだ。」
「え・・・」
「他の方法があるから。」
「・・・他の方法?」
「そう。」
「っ・・・・・・!?」

かごめは一瞬、ギクリとした。

ほんの一瞬だった。
恐ろしく冷たく感情のない珊瑚の目。
発する冷酷な気。

「・・・珊瑚ちゃん・・・?」
「何?・・・どうしたの、かごめちゃん。」

凍り付いたようになっているかごめを心配そうに見つめる珊瑚。
いつも通りの・・・

「ううん、なんでもない・・・」
「じゃ、あたし行くね。」
「うん。・・・先にご飯の準備しておく。」

気のせい・・・?
珊瑚ちゃんがあんな目をするわけない。
疲れてるんだ。あたしも。
でも他の方法ってなんだろう?
明日珊瑚ちゃんに聞いてみよう。

離れへ向かう珊瑚を見つめながら、かごめは静かに戸を閉めた。








翌日、母屋の裏手で忙しく薪割りをする珊瑚の姿があった。
何か吹っ切れたように気を紛らわすように――――――
この場合、後者だ。
弥勒の病状は変わっておらず、この日も奥の部屋で臥せっている。

ガッ ダンッ ダンッ ダンッ

いっそ乱暴なまでに割り続けていると、意識までが殺伐としていくよう。

早く 早く

早く・・・!!

やがて珊瑚の目からは光が消え、達成しなければいけない目論見で頭がいっぱいになっていった。



「あ!殺生丸さま!」

突然の高らかな声。
嬉しさを滲ませたりんの声に、作業をしていた珊瑚の手がぴたりと止まる。
表から聞こえる他愛もない会話。

かごめと一緒に家の周囲を掃除していたりんの元へ殺生丸がやって来たのだ。

「昨日、すごい嵐だったんだよ!」
「そうらしいな・・・」

辺りは枝や板が散乱し酷い有り様。

「でも枝は乾かせば火の元になるし、拾いに行く手間が省けたねってかごめさまと話してたの。」
「そんなことは法師か犬夜叉にやらせておけばいい。」

どんなときでもりんは明るい。
だが、そのりんの顔が少し曇った。

「・・・・・・」
「・・・どうした。」
「・・・今・・・弥勒さま、病気なの。ねえ、殺生丸さま。殺生丸さまは万病に効く薬草が何処に生えてるか知ってる?」
「・・・知らぬ。」
「そうだよね・・・」

妖怪に効く薬草は知っていても、人間に効く薬草がどれで何処にあるかなど知る由もない。
例えりんの頼みであっても人間の病は殺生丸が立ち入れない域だ。

「早く良くならないかな・・・」
「・・・りん。法師にあまり近付くな。」
「え・・・あ、大丈夫だよ!」

殺生丸の言いたいことをすぐに理解したりんは明るく言葉を返した。

「りんには移らないよ、だって弥勒さまの病気は・・・」


りんが言いかけたその時だった。

飛んでくるそれに気付いた殺生丸は瞬間的に避けるが、僅かに反応が遅れた。

ザッ

赤い飛沫。

和やかな空気を切り裂いて落下した斧。

白い肌を伝い地面に流れ落ちる血。


「きゃあああ!!殺生丸さま!!」

殺生丸の手首は赤く染まっていた。





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