こんな時くらい甘えてほしかった。
俺は、冷静に考えられない程に殺生丸との隙間を埋められないことに焦っていた。
そして思考があれこれ交錯しているうちに、先に殺生丸のほうが口をついた。
「分からぬか。貴様のような半妖に施しを受ける事自体が私にとって恥ずべき事なのだ。目前に弱った獲物がいながら、トドメを刺さぬとは。愚かな半妖よ。」
この殺生丸の言葉を聞いた途端、俺は戦慄した。
聞き慣れたようなセリフ。自分に対する扱い。奴は別にいつも通りだ。
俺が黙しても奴は目も合わせずにただ、自らの毛皮にもたれ、傷を癒している。
作りモノのような綺麗な顔。何の感情も見せない澄んだ金色の眼。絹糸のように輝く白銀の髪。
なのに対照的な傷付いた身体。血痕があまりに痛々しい。
痛まないハズはないだろうに、涼しい顔をして俺を常のそれと変わらずに蔑む。
俺は勢いよく出て行き、その場を後にした。
自分の荒い息と脈打つ音しか聴こえない。
森を駆け抜け、人間のにおいを感じて足を止めた。
あの山中の小屋からそう遠くない距離に人里があるらしい。
俺は手近な木にもたれ、崩れるようにしゃがみ込んだ。
そして地面にドカッと一発ぶち込んだ。小石や土が飛び散り、地面には大穴が開いた。
・・・あのままあそこに居たら、やりきれぬ想いに感情が爆発して、殺生丸に掴みかかっていただろう。
悔しかった。
惨めだった。
どんなに想っても届かない。
行き場のない想い。
あんな怪我を負って動けぬ時ですら、自分を頼ろうとしない。否、誰も必要としない。あくまで、自分のことは”敵”としか見ていないのだ。
それでもなんとか自分を落ち着かせ、色々な感情が交錯しているうちに日は暮れ、夕闇が辺りを支配し始めた。
日があるうちは妖怪は姿をあまり現さないし行動しない。もし遭遇しても、雑魚妖怪程度なら天生牙の結界が奴を護るだろう。
だが、夜ともなれば話は別だ。
夜は妖力が上がる。殺生丸ほどの大妖怪ともなれば朝も昼も妖力に影響などないが。たいがいの妖怪は夜に動き出す。
今夜は満月。
いかに殺生丸といえど、不死身ではない。あの身体で、力ある妖怪に襲われでもしたら命の保障はない。 俺は山中の小屋へと急いだ。
走りながら、俺は考えていた。
拒絶なんていつものことだ。・・・それよりも今まで・・・・・・考えてみれば、奴は今まで、俺を本気で殺そうとはしなかった。本気で殺そうと思えば当の昔にいつだって出来たハズだ。全力でかかられたら、俺など瞬殺だろう。
むしろ俺のほうが奴に酷い手傷を負わせている。現に奴が片腕なのも、左腕を俺が斬り落としたから
だ。
俺は頭に血が昇ると冷静な判断が出来ずに、勢い任せになってしまうところがある。
だが奴は――――――・・・理由はどうあれ自分に実直だ。鉄砕牙の件では本気で俺が憎いだろうに、殺したかっただろうに奴は俺を殺さなかった。
それは手加減されていたからではないだろうか。
殺生丸が意識の上で手加減していたかは分からないが、本当に殺意を持たれていたら俺は今、生きてはいないだろう。
なのに、俺は生きている。
俺たちには切っても切れないものがある。
こんなやり方でしか確かめ合えない絆がある。
殺生丸は同じ血を分けた、唯一無二の俺の兄なのだ。
小屋に着く頃には、戻らないほうがいいのではないかという迷いや葛藤は消えていた。
まずは殺生丸の安否が先だ。
入口から中を覗き見ると、相変わらずに横たわったままの姿があった。
殺生丸は、こちらを見ない。
俺のにおいが近づいていることは当に判っていたからだろう、驚いたような様子は微塵もない。
とにかく別段、飛び出して小屋を後にした時と変わらない事に、俺は心底ほっとした。
ただ、右手はしっかりと天生牙の柄にかけられている。結界を強める為、自分の妖力を注いでいるのかもしれない。夜が危険だということは俺以上に殺生丸のほうが承知している。
それに加えて、これだけの深手を負いながら、少しの隙もない鋭い妖力を放っていられるのは大したも
のだ。
だが、身体が傷の治癒に集中していないぶん、回復も遅れる。未だ動けないのはそのせいだろう。
俺は何も言わずに殺生丸に近付いた。
相手はチラとこちらを見、”何用だ” もしくは、”それ以上近づくな” と威圧をかけてくるような眼光を向けたが、俺は構わずに大胆にもすぐ傍に腰を下ろした。
殺生丸は、じぃと俺を睨んだが、ふいっと目線を外した。
諦めたのか。
疲れているのか。
無関心なのか。
今は何でもいい。傷が早く良くなることのほうが先だ。
殺生丸は何も言わない。
俺も何も言わない。
お互い一言も交わさぬまま時間は静かに流れた。
どれくらい経ったのだろう。おそらく深夜だ。
目を開けて驚いた。
相手は明らかに眠っている。
先までは目を瞑っているだけだったが。今は眠っている。何故なら、妖気を感じないからだ。取り巻く妖気が極めて抑えられたものになっている。右手は天生牙の柄から離れ、緩く腹の上に置かれている。
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