渇愛    3P




 


 つまり、警戒を解いている。

 ・・・俺が居るから?

 重傷を負いながらも身を守る為、気を張り続けていたんだ。負担は大きかったに違いない。
 俺は初めて見る寝顔に、初めての距離に、どうしようもない愛しさが込み上げてきた。
 少しは気を許してくれたんだろうか。
 もとより、俺を普段言っている程には敵だとは思っていないのだろうか?
 出くわせば刀を抜いていた相手だが。
 今、目の前に居るのは、傷を癒し眠る一人の傷付いた妖怪だ。

 俺は、そっとその肩に手を掛けた。
 相手はまったく起きる様子がない。・・・よほど今まで無理を強いていたのだろうか・・・。
 軽くその身を引き寄せ、こちらにもたれさせた。
 長い睫と破れた着物の間から覗く鎖骨に俺は思わずドキリとした。
 と、その時、薄っすらと相手の目が開いた。
 瞬間、ハッと驚いたように目を見開き、身を固くし、引こうとするのが分かった。俺は咄嗟に、強く奴を抱き込んだ。
 傷が痛んだのだろう。小さく「うっ・・・」っと呻いた声が聞こえたが、俺は力を緩めなかった。
 きっと、驚愕しているだろう。
 俺は怖くて奴の顔を見れなかった。何も言わせない為に、そのまま押さえ込むように強く抱き締めたままでいた。
 右手の毒を持つ鋭い爪がいつ俺を引き裂いてもおかしくはない。
 だが、そんな恐怖よりも俺はこうしていたかった。

  それは時間でいうならおおよそ、四、五分といったところか・・・ふと、相手が体の力を抜くのが分かっ
た。

 俺は腕を緩め、やはり顔を見ずにその身体を優しく包み込むように抱き直した。

 
 言葉は交わさない。
 今は――――――・・・今この時が、俺と殺生丸。お互いに対する気持ちの全てでいいだろう。
 言葉なんていらない。
 これが俺たちにしか成せない互いに対する在り方なんだ。

 

 やがて朝を迎え、俺は胸にかかる僅かな重みと微かな温もりで目を覚ました。 

 どうやら妖怪どもに襲われずに、何事もなくやり過ごせたらしい。
 守ると誓っておきながら、自分も寝てしまうとは。俺は自分に些か呆れた。やはり、殺生丸の言うように自分は所詮は半妖で、半端な己を表しているようだと思った。
 睡魔に負けたのは、人間の血が混ざっているからだろうか。
 それともあるいは。近くで感じる殺生丸の淡く香る、清々しく・・・けれどかすかに甘い、なんともいえない良いにおいに酔いしれて、いつの間にか眠ってしまったのかもしれない。

 殺生丸に初めて触れた時は、なんて冷たいのだろうと思った。肌の柔らかさこそあるものの、陶器のような冷たさだった。
 でも、こうして抱いていると分かる。確かに感じることが出来る。たとえ僅かな温もりだとしても。同じ血の通った、生きている身体。
 いかに冷酷といえど、今抱いている身体は温かいのだ。
 きっと俺だけが知っている温もり。

 
 ほどなくして殺生丸も目を覚ましたらしく、軽く身じろいだので、俺も急に照れくさくなり、そっと身体を離し、毛皮にもたれさせるように横たえさせてやった。
 余計な事を言って、せっかく少しは縮まったかもしれない今の距離を台無しにはしたくなかったので、しばらく黙っていたが・・・する事がないので奴をつい観察するように見てしまう。

 こうして改めて見ると――――・・・男の俺から見ても、美しいと・・・綺麗だと思う。

 殺生丸には性別も種族も越えて、どこか神々しくさえ感じられる節がある。
 対峙してみて分かったことだが、純粋な妖怪であることはもとより、奴には邪念や邪気、悪意が感じられないのだ。
 殺すにしても、じわじわと弄ぶようなことはしない。
 何をするにも単に己の欲に言動が実直だ。
 俗世間から離れ、固定の観念も通用しない。
 内面の潔さが普段の闘いぶりにも見てとれる。なにより、そうした内面の迷いの無さがあの完璧な美貌を作り上げているのではないかと俺は思う。

 
 俺はしばらく見惚れてしまっていたらしい。
 ふいに殺生丸が少し落ち着かず顔を背けたのが分かったので、俺も半ば慌てて顔を逸らした。
 傷の具合はどうだろう。
 聞くことは出来ないが、様子で判る。
 着物や鎧の修復が成されず、染みた血もそのままなら依然状態は良くない。だが、今朝は少しマシになっており、毛皮は元の純白に戻りつつあるようだ。
 殺生丸の身に付けているものは自身の妖力で維持されている。
 当然治す順番は、己の身体からということになる。だから自身の身体の一部である毛皮が元に戻りつつあるということは、身体も回復に向かい、少なくとも昨日よりはマシになっているのだろう。
 俺はほっとした。
 明日には動けるようになるかもしれない。

 さっき軽く身じろいだ時、一瞬身体が強張るのが見えたので、まだ傷は痛むのだろうが・・・。
 俺は、勝手に思いついた事を行動に移すことにした。


「・・・ちょっと出るけど、夕刻にはまた来るぜ。」

 ぶっきらぼうな物言いになってしまったが、奴から拒絶の返事が出る前に俺はさっさと出て行った。

 地念児のところへ行けば、妖怪にも効く薬草が手に入る。
 ここからだと少し遠いが、まあ夕刻には戻れるだろう。

そして俺はこの地を後にした。

 

 俺が薬草を持って帰っても、奴が素直に大人しく傷を見せるとは思えないが・・・そん時ゃそん時だ。
 早く元気になってもらいたい。
 ・・・俺はやはり嫌なのだ。弱い兄が。
 否・・・怖いのだ。
 奴の命が失われるかもしれない事態が。
 いつも強大な力でもって俺の前に立ちはだかる兄が、今は動けない程の傷を負い、倒れ伏せている・・・
 ・・・襲われでもしたら。そう思うと不安でたまらなくなる。

  奴が回復するということは、また元の関係に戻り離れるということだが、それでも。

 

小屋に戻る頃にはすっかり日も暮れ、夜の帳が下り、辺りは真っ暗だった。

殺生丸に変わりはないだろうか。
 薬草を包んだ布を持ち、小屋の入口に差しかかったその時だった。

!!

俺は足を止め、隠れた。
 人間のにおい。
 明らかに中に居る・・・!・・・どうする!?・・・殺生丸の様子は・・・!

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