烈火    7P




 

「殺生丸っ!・・・着いて来いっつったろ、離れるんじゃねー、・・・」

 言い掛けて犬夜叉は“あっ”と思い、黙った。
 殺生丸の向かう先・・・目的が分かったからだ。

 水のにおい。
 深い森の奥、生い茂る草木を抜け、開けた所に泉があった。

「・・・・・・俺はこの辺で待ってるから。」

 そう言い、犬夜叉は近くの木にもたれた。
 殺生丸は束の間犬夜叉と目線を合わせると、無言で泉の岸辺へ歩を進めた。

 気遣ってやれなっかった事を謝ろうかと思ったが、犬夜叉は言葉を止めた。
 余計に思い出させて殺生丸を傷付けてしまうかもしれない、と思ったからだ。

 帯を解き、スルと着物を脱ぐ。
 犬夜叉が見ているのが分かっていたが、殺生丸は動じず裸体を晒し泉に浸かった。
 肌当たりの良さそうな岩に適当に腰掛け、半身を浸り髪を梳く。
 犬夜叉はその様子に不謹慎ながらドキドキした。
 身を清めたいという相手の意向が解っているだけに、犬夜叉は自身を心の内で叱咤した。それに殺生丸の肉体を見るのは初めてではない。
 片時も忘れた事のない、あの日々。介抱を拒絶された寂しさと苛立ち・・・泥濡れた思慕から殺生丸を無理矢理自分のモノにしたあの時の事。
 そして檻の中で目にした死神鬼の殺生丸に対する数々の仕打ち・・・手酷い凌辱・・・
 そこまで思い、犬夜叉はギュッと目を瞑って残像を掻き消した。


 パシャ・・・

 時折聴こえてくる水の音。
 殺生丸が水浴びをしているのが分かる。

 静かな空間に澄んだ泉の湧き出る音と、殺生丸が髪を梳く度に上がる小さな水音。
 それだけをただ聴きいっていた。

 暫くして犬夜叉は再びゆっくり目を開けた。
 殺生丸が泉から上がり、着物を拾うのが見える。
 犬夜叉はすぐに自分の衣を脱ぎなら殺生丸の元へズカズカと歩いていき、赤の水干でその身を包むようにそのまま相手を抱き込んだ。

 季節の温度に妖怪の体は左右されない。
 完全に元の妖力を取り戻したなら尚更だ。そんな事、犬夜叉にだって分かっている。
 でも今は冬を間近に控えた晩秋。
 冷たい泉から上がり、冷え込んだ空気に晒された殺生丸の身体は凍えてしまいそうに弱く脆く見えた。

 濡れた前髪から零れる雫。
 伏せた睫に掛かり、まるで殺生丸の涙のよう。

 犬夜叉は自分の顔を殺生丸に見られたくなくて、その肩に顔を埋め一層強く殺生丸の身体を抱き込んだ。
 今、自分が泣くのは違う。
 けれどどうしようもなく激しい想いが体中から溢れる。

 重なり合う二つの身体。
 互いの雫が互いを濡らす。

 殺生丸はそっと犬夜叉の背中に腕を回した。
 布越しに感じる冷たい手。
 けれど本当は誰よりも強く優しい手。
 犬夜叉はますますしがみつくように殺生丸を抱き締め、声を殺して咽び泣いた。

 晩秋の森の中で兄弟はただ長い間抱き合っていた。






 楓の村に着いたのは夕刻。

 りん亡き今、人間の村へ足を運ぶなど殺生丸は途中少し躊躇した風だったが、犬夜叉がそっと腕を取り誘導すると殺生丸はやはり素直に従った。


 冬近いこの季節の夕暮れは早く、辺りはもう薄暗くなり始めていた。
 弥勒は沈む夕陽を遠くに見ながら、縁側から上がり引き戸を閉めようとしていたところだった。

「う〜寒い!すっかり冷えてきましたな〜。」
「うん・・・でも今日も来なかったね・・・犬夜叉・・・」
「・・・そうですなあ・・・ま、あいつの事です。今頃何処かでのらりくらりと上手くやっているのかもしれません。」
「・・・心配なクセに。」
「まさか。」
「だって、法師様が言ったんだよ。・・・犬夜叉は姿をくらました殺生丸を追う為に出て行ったって。」
「アレは嘘です。」
「嘘言ってる顔じゃなかった。」
「・・・・・・」
「それに大事にしてたりんを亡くした事で、殺生丸の様子を心配したのは皆同じなんだよ。あんな奴でも犬夜叉の兄貴なんだからさ。」
「・・・・・・ふ。」

 弥勒は優しく笑った。

「珊瑚・・・お前も兄上殿の事が好きなんですね。」
「っ・・・そんな事ないよ、ただあいつには昔・・・」

 奈落との闘いでりんを犠牲にしようとした事を珊瑚は思い出したが、口を噤んだ。

 その事は弥勒も知っているし、当の昔に三者の間で解決している。
 一人で死ぬ覚悟だった珊瑚を退け、二人とも斬って捨てるよう懇願した弥勒を殺生丸が赦したからだ。


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