略奪    9P




 

「・・・ふん。・・・策の無い今、何も言葉は出ぬか。」

死神鬼は冷徹に殺生丸を見やり、口端で冷笑しながら、殺生丸の口内へ布を無理矢理詰め込んだ。

殺生丸はこの時、確かに何も言うことが出来なかったのだ。

恐怖こそ感じていないが、両手を吊るされ、跪き、目も口も塞がれ、相手の好きなようになじられ嬲られる己の様など、殺生丸にとって想像しただけで己の存在ごと抹消したい位に屈辱的だ。
 これまでの陵虐に耐えてこれたのは、相手を抹殺する一瞬の機会だけをずっと思っていたからこそだ。
 だが、それも失敗に終わり万策尽きた今・・・これまで保ってきた強靭な精神力も少しづつ疲れを見せはじめた。

自分は命を絶たれる事もなく、この屈辱の中で生かされ死神鬼に玩具のように扱われる・・・己の無様な醜態だけが胸中を占め、狂いそうな程の悔しさと痛みが込み上げる。

死神鬼は自由の利かぬ殺生丸の体を抱き込み、その耳元で囁いた。

「・・・教えてやろう。殺生丸・・・貴様がこの死神鬼の胸を貫いても死ななかった訳を・・・」

 言葉を続けながら死神鬼は体を密着させたまま殺生丸の襦袢の合わせへと手を滑らせ、左胸を撫で弄った。

「貴様の心臓は・・・ここであろう?・・・脈打つ音がこの手を通して伝わる。」

死神鬼は弄っていた手を止め、殺生丸の左胸に自分の爪を食い込ませた。

「・・・心臓の位置が皆同じとは限らんという事だ。闘いの経験に長けた貴様なら承知していることと思ったがな・・・フ・・・誤算だったな。よほどこの死神鬼から逃れる事に急いたか。」

 殺生丸の胸に、更に深く爪を食い込ませる死神鬼。

「・・・ッ」

 殺生丸は、痛みに身を強張らせた。
 血が流れたところで死神鬼は手を緩め、体を離した。

そして、ゆっくりと殺生丸の背へ回り込むと、いきなり鞭を振るった。

「ッ!!・・・ウ・・・」

突然の身を引き裂くような鋭い痛みに、何も考えられなくなる殺生丸。
 死神鬼の持つ鞭は、しなりこそするが、かなり硬質で先端はよく磨がれた鑢のようだった。

「・・・殺生丸よ・・・貴様はわしの傍に置いて壊れるまで愛でてやろう。身体の傷はどうせすぐに癒えてしまうのだからな。・・・いくら傷付けたところでどうとあるまい?・・・だが、身体の受ける傷にいつまでも心はついていくまい。必ず貴様は自己を喪失する。そして・・・貴様の心はわしのことだけになる!!」

 言い終えるが否や、死神鬼は再び鞭を振るい、四方八方から殺生丸の身体を痛め付けた。
 死神鬼自身も先に殺生丸に胸を貫かれ傷を負っているが、痛みを堪え、全ての憎しみを叩き付けるように殺生丸に鞭を振るった。
 殺生丸の銀糸のような髪が、鞭が振り下ろされる度に、乱れ散る。
 どんなに声を殺したくても激痛にいつまでも堪えられる訳ではない。だが、口内に詰め込まれた布のせいで声も上げられない。声にならぬ声。
 くぐもった呻き声が半時も響いた。
 襦袢は所々裂けて血で染まり、殺生丸は全身にまるで酷い火傷でも負ったような・・・猛烈な痛みを感じながら、意識を失くした。

 殺生丸の体がガクリと沈んだのを見て、死神鬼の手からようやく鞭が落ちた。
 そして苦しげに肩で息をし、自らの胸の傷を押さえた。

「殺生丸め・・・」

――――――・・・まさか反撃する力があるとはな・・・微量だが毒も一緒に注ぎ込みおって。
 今、これ以上はわしも動けぬわ。

 死神鬼は壁際にもたれ、静かに目を閉じ瞑想した。


殺生丸・・・何者にも揺るがぬ不撓不屈の精神。
 継がれた血のままに大妖怪としての類まれなる妖力と美貌を持ちながら、人間の小娘を加護し―――――・・・忌み嫌っていたはずの半妖の弟を結果殺さず・・・・・・そればかりか、どちらかの危機には必ずどちらかの加勢がある。
 貴様ら兄弟を見ていると・・・貴様らの親父を・・・闘牙を、嫌でも思い出す。
 わしの顔を打ち砕き、技を奪い取り・・・我が一族の誇りを汚し、わしは一族から疎まれ・・・この死神鬼を復讐の闇へと追いやった、憎き闘牙王。

 だからわしはまず、冥道残月破を育てた気でいる兄の殺生丸を狙った。
 どちらが本物の使い手であるか見せつけ、プライドをへし折り・・・弟・犬夜叉の加勢があろうと成す術もなく、殺生丸はその屈辱の中で半妖の弟と共に冥界へと消えていく・・・
 ・・・そのはずであった。

 だが結果・・・わしは鉄砕牙に共鳴した天生牙の完全なる技の前に破れ、冥界へと堕ちた。
 もとよりの使い手であるわしが。

 わしはあの時、誓ったのだ。
 何年・・・何十年かかろうとも、必ず貴様ら兄弟を絶望の淵に貶めてやると。


 そしてやっとわしの積年の雪辱を果たす時が来たのだ。

 闘牙よ・・・あの世で悔やむがいい。
 わしから顔を奪い、技を奪ったことを。
 わしが今度は貴様の大切なものを奪ってやろう。
 貴様の息子はこの陵虐の中で精神を破壊され朽ちるのだ

 この怨恨は闇より深い。  


 そして、犬夜叉よ―――――――

経緯は知らんが貴様のあの様子・・・
 わしが殺生丸に呪詛を掛ける以前に、何かが貴様らにはあった。

わしが初めて久方振りに殺生丸の姿を求め、見つけ出した時も犬夜叉・・・貴様の気配があった。それから様子を探りに行く度、貴様が頻りに殺生丸を追っているのが分かり・・・この兄を壊せば、弟である貴様も追い込む事が出来ると考えた。


 ・・・クク・・・つくづく何もかもがわしの思惑通りに事は運んだようだな。

 もうすぐだ――――――・・・もうすぐ貴様らは崩れる。


 既に殺生丸の身体はこの死神鬼の手に掛かっている。・・・いずれは精神も侵される。
 避けていた犬夜叉と再会した時、殺生丸はどんな顔をするのか・・・よもや平静は保てまい。
 犬夜叉とて・・・大事な兄がこの死神鬼の手に堕ちたとなれば狂うだろう。

今頃、自我を忘れて狂い叫んでいるやも知れん。

親子兄弟ともども皆が、全てを喪失するのだ。

 刻み込んだ傷は消えない。
 生きている限り苦しみが癒えることはない。
 わしへの復讐の執着でその心は埋め尽くされる。

  

――――――・・・これこそが略奪・・・“奪う”ということだ。

 

 

 

 

 

 

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