その夜、俺は村には戻らなかった。
あの後、楓ばばあには会わず、当ても無いまま村より遠く離れたどこかを目指した。
奴の顔を見たくなかった。
奴が来た時のりんの顔も見たくなかった。
二人揃った姿を見たくなかった。
俺は何も考えず、草原の上に寝転び、ただずっと空を眺めていた。
白銀に輝く月が大きく、美しかった。・・・あの夜も、こんな月の綺麗な夜だったな・・・殺生丸と二人だけで過ごした最後の夜。あの洞窟で見た夜・・・
――――――――そしてそれから半年・・・
思わぬ事態が二人の関係に陰りを落とし始めようとしていた。
りんが、あの鏡の事を殺生丸に言ったかどうかは分からない。
ただ、俺は翌朝村に戻ってから、努めていつも通り振る舞った。
りんもそうだった。俺と顔を合わせても、笑いかける顔も話す内容も、依然明るいそれだった。
殺生丸の様子も別段変った様子はない。
りんは、鏡の事を殺生丸に言わなかったのだろう。・・・否、割ってしまった事は言ったのだろうが。だって幾日も経たない内に、真新しい鏡が化粧台の上に置かれていたから。
祝言の話が本当のところ、どこまで進んでいるかは分からないが、二人は上手くいっているようだった。 少なくとも、会う度に愛情を深め合っていく様は誰の目にももはや明らかであった。
俺はもう、胸中の奥底に想いを封じ、押し殺してその様子を見守っていた。
殺生丸が ” 幸せ ” ならば、・・・と。
そう思った。
だが、そう思い始めた矢先―――――りんは、病に倒れた。
町全体で流行りの病が、この村にも襲ってきたのだ。
幼い子供は、すぐに命を落としてしまうような危険な・・・不治と云われる病だ。
会話をしている分には感染しないが、ちょっとした切り傷から感染するという。
もちろん、殺生丸もりんが病に倒れたことは知っている。
りんが伏せてからというもの、毎晩必ず来る。
一日中傍に居ないのは、奴なりの気遣いだろう。・・・りんは、いつだって笑顔だから。
俺たちにも苦しい顔は見せないのだから、殺生丸の前ならなおのこと。無理を押してしゃべろうとするだろうから・・・
よくしゃべり、よく笑う、昔から何一つ変わらぬ向日葵のような娘。
人間の病は、俺たちでもどうしょうもない。妖力で治るものではないのだ。
殺生丸も苦しんでいる。りんの前ではいつもと変らなくても、俺には分かる。辛いのだろう・・・何も助けてやれず、ただ愛しい者が弱っていく様を毎日毎日見続ける・・・
―――――りんが病に倒れて一月・・・
この日、りんと俺は二人で居た。
もとより、ここにはりんが病を患ってから楓ばばあと弥勒、俺しかいない。子供達に万が一病気が移るといけないので、珊瑚は子供達と一緒にこの家の離れで過ごしている。
もちろん珊瑚だって苦渋の思いでそうしているし、看病にだって毎日来る。
ただ、今は皆出ており俺とりん、二人だけだ。
「りん、辛くないか。」
「うん、今は大丈夫。ありがとう、犬夜叉さん・・・」
笑ってはいるが、弱々しい声だ。
「なんか欲しい物あったら言ってくれ。すぐ取って来っからよ。」
「・・・ありがとう。」
緩く首を振り、りんは何か言いたげな顔で俺を見た。
「・・・どした?水か?」
「・・・ううん。」
りんはやはり首を振り、優しい笑顔を向けながら、俺に言った。
「ねえ、犬夜叉さん・・・。もし・・・もし、りんが死んでも大丈夫だよね。」
「―――――・・・」
「・・・殺生丸様のこと守ってくれるよね?」
「・・・・・・何、言って・・・」
「だって犬夜叉さんだけだもん。」
「・・・り・・・」
「約束。」
言葉に詰まる俺をよそに、りんは今にも折れそうな細い小指を突き出してきた。
「・・・ね、約束。」
「・・・っ他の奴に言え、俺は奴と、・・・。それにお前・・・、」
「・・・他の人じゃ駄目なの!・・・」
りんは、細いがはっきりと澄んだ声で言った。
・・・こんな時、俺は思う。
こいつと、奴は似ている。
自分の気持ちに真っ直ぐで・・・他者の意は関係なく、その志を貫く。いつしかその眼に惹かれずにはいられなくなってしまうんだ。
「・・・・・・分かった。・・・けど、それは今じゃねえ!」
俺は、りんの小指を立てた手を優しく握り、布団に戻した。
「りん。俺は約束なんかしねえ。・・・お前が奴の傍に居るんだから、お前が守れ。ずっと。」
りんは、柔らかく嬉しそうに・・・でもどこか切なげに、俺に微笑んだ。
「ありがとう、犬夜叉さん・・・」
これが、俺がりんと言葉を交わした最期だった。
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