一週間前。
犬夜叉が出て行くきっかけとなった日・・・二人が大喧嘩した日のこと。
束の間の和やかなひと時。
りんとの他愛も無い会話を終え、帰ろうとする殺に弥勒は声を掛けた。
『おや、お一人でお帰りで?』
『・・・・・・』
『私たちとしてはあの不精な赤い犬も連れ帰って頂けると助かるのですが・・・』
かごめたち同様二人が夫婦喧嘩中であることを察している弥勒なりの、“仲直りしろ”という意味合いを込めた気遣い。
だが殺はそんな弥勒をまるで無視し、すたすたと歩き始める。
『そ、そういえば今日は何をりんに?』
『・・・・・・』
冷たい態度に負けじと平行しながら歩き、笑顔で取り繕う弥勒。
中身などどうでも良いが、何とか会話を続けようと試みる。
『しかし殺は本当にりんにはお優しいですな。此処へ来られるときは必ずりんに・・・』
『・・・ついでがあっただけだ。』
人間ごときに分かったようなことを言われたくない。
何となく心地悪さを感じた殺はつい言葉を返してしまった。
一方の弥勒は殺の機嫌を取って、どうにか夫婦仲良くお引取り願おうと必死だ。
『ついで・・・と申しますと、今日はどちらへ行かれていたのですか?犬夜叉が朝からずっと貴方を探していたようでしたが・・・』
“犬夜叉”という単語がまずかったのか。
殺は弥勒をきつく睨んだ。
『・・・ッ・・・何処でもいいだろう、あやつには関係ない!・・・私は母上の処へ薬草を貰いに行っていただけだ。りんへの品は母上が持って行けとうるさいから持って来た。それだけだ。』
もちろんそれは言葉の綾で殺がりんを大事に思っていることは知っている。
珍しく感情的な殺に自分の失言を内心焦りながらも、弥勒は気になる言葉を聞き逃さなかった。
『・・・薬草?・・・何処か具合でも?』
『!』
あからさまに動揺した様子の殺。
『殺?』
よく見ると顔色が優れないような気もする。
否、気のせいか・・・元々透き通るような白い肌だ。
でも何故薬草を?
もう一度訊こうとした次の瞬間、その身体がぐらりと揺れた。
『!!』
『・・・ッ・・・』
『殺!』
弥勒は殺の腕を強く掴んだ。
『どうなさいました・・・?』
『・・・っ』
『殺・・・?』
『・・・離せ・・・』
『そうはいきませんよ。やはり何処か具合が・・・』
『何でもない。』
そう言いながらも辛そうな様子。
いつもの殺ではない。
体調が悪いのはもはや明らかだ。
見れば殺の手は腹を押さえている。
腹痛・・・?
否、まさか。
体内に猛毒さえ蓄えるこの大妖怪が。
『此処で待っていてください、犬夜叉を呼んで来ますから・・・!』
『ッ・・・余計なことをするな。』
『でも・・・』
『・・・犬夜叉には言うな・・・!』
『!・・・』
一体どうすれば良いのか。
こんな状態の殺を見たのは初めてだ。
だがこの様子・・・・・・
そうして戸惑い思案しているうちに犬夜叉はやって来たのだ。
「・・・お前は殺との時間を取り戻そうと必死だった。当の殺に避けられ続けてはきっと話し合いもままならなかったのだろう。」
「・・・・・・」
「取り合おうとしなかった殺も悪い。・・・時間の解決を大人しく待ったところで先にあるのは決別だったかもしれないし冷戦状態が長引いただけかもしれない。」
「・・・・・・」
「だが・・・今回のこと。・・・間の悪いところへ出くわしておおよそ見たくもない光景を目にしたのだろうが、いくら不仲になっていたとはいえ殺が亭主の居ない間に不義をはたらくような女かどうか冷静に考えれば判るだろう?・・・まあ、冷静ではなかったのだろうが。・・・殺に何かあってもおかしくない状況だった。相手は死神鬼だ。敵なのだぞ。」
「・・・・・・」
「フン、揃いも揃って・・・礼の一つでも言えんのか。」
「・・・悪いけどあんたに言う礼なんかないわよ。そもそもこの敷地はあんたが入っていい場所じゃないんだから。」
「そういうことです。お引取り願いましょうか。」
弥勒や珊瑚、かごめは威嚇を込めて死神鬼を強く見据えた。
「・・・言われずとも元より長居する気などない。・・・フン、とんだ茶番に付き合わされたわ。」
そう言うと死神鬼は障子を開け、回廊へと続く廊下を歩き出す。
その姿はやがて黒い光に包まれ小さな球体へと変化すると一気に全てを透り抜け宙へと急浮上し、見る間に遥か彼方へと消えていった。
殺もそうしたことが出来る。
やはり死神鬼もまた、殺以上に年月を経た力ある妖怪なのだ。
かつて刀の事を卑しく暴露し姉弟を貶めようとした忌まわしい敵。
本当にあの男が闘う気でいたら殺はどうなっていたか分からない。
弥勒はほうっと息を吐いた。
「・・・犬夜叉・・・あたし達も悪かったわ。そんなに切迫した喧嘩だと思わなかったからあのときあんたを一方的に責めて余計に焚き付けちゃって・・・」
「・・・んなこと思ってねえ。」
「でも結果的にあのときの喧嘩が原因であんたは出て行ったんだし・・・」
「私も悪かった。殺が身籠っているっている確証はなかったが珊瑚の一人目のときと症状が似ていたからまさかとは思ったが・・・お前を探し出してでも伝えるべきだったかもしれない。だが殺は隠していたようだったし、下手に口を挟まずお前たち二人の事は二人に任せて見守ろうと思っていたのだ。」
「・・・・・・おめえらは悪くねえよ。全部俺のせいだ。・・・あの野郎の言ったことは間違ってねえ。」
「犬夜叉・・・」
「・・・なあに言ってんのよ、あんな黒羽若作り仮面男の言うことなんか真に受けてんじゃないわよ!!・・・犬夜叉も悪かったけど殺も悪かった。何も出来なかったあたし達も悪かった。・・・間の悪さが重なって仕方ない事態だったのよ・・・!」
確かに色んな事が悪い形で重なり過ぎた。
食い違ったままの歯車はやがて外れて壊れる。
だが止まった今なら修復出来るのだ。
「何にしてもお腹の子は無事だったんだからいいじゃない!・・・問題はこれからよ。本当は何が悪いのか。殺が何を怒っているのか。・・・もう二人でも大丈夫でしょ。あたし達は帰るわ。」
「ああ。・・・ありがとな。」
犬夜叉の力強い返事と温かな眼。
柄にもなく発せられた礼にかごめは内心吹き出しそうになりながらも、安堵した。
「何よ、やけに素直じゃない。・・・あんたに礼なんか言われたら明日はますますの大雪ね。」
「何かあったら呼んでよね。」
「犬夜叉さん、殺さまのこと泣かせたりしたら許さないからね!」
「おう。」
皮肉を言いながらヒラヒラ手を振り出て行くかごめに続く珊瑚と弥勒、りん。
「・・・ふふ・・・もうすっかり父親みたいな眼をしちゃって。あいつが“お父さん”ねえ・・・」
「なあに、かごめちゃん。何か言った?」
「何でもない。さあ、帰ろ帰ろ!」
廊下を行く4人の心にもう不安の色はなかった。
全てを受け止めている今の犬夜叉ならきっともう大丈夫―――――――――
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