「・・・!!・・・」
においは無い。
でもこの妖気には覚えがある。
「・・・ッ・・・!!」
特定の者しか入れぬ筈の結界を容易にすり抜けるとは。
既に屋敷の敷地内に侵入し、真っ直ぐこちらへ向かってくる。
こんな時に限って邪見も誰も気付いていないのか。
全く役に立たない。
でもそれで良かった。
何を仕掛けてくるか分からない相手を前に騒ぎ立てられて余計な面倒が増えるよりいい。
己一人で対峙したほうがマシだ。
殺はゆっくりと敷地の中央へ歩いた。
「・・・貴様、生きていたのか。」
不適な笑みを浮かべながら前に立つ男を鋭く見やる。
黒い羽を纏う右肩。
えんじ色の眼。
紫の髪。
仮面に覆われた左顔。
かつて冥界へ葬ったはずの男。
死神鬼。
「・・・フン。忘れたか。冥道残月破はこの死神鬼の技。冥界を脱すことなど造作も無いわ。」
「・・・・・・」
「あの半妖はどうした?・・・においがせんな。」
「・・・貴様など私一人で十分だ。」
「ふっ、何の話をしている。」
「報復にでもきたのだろう?」
「・・・否・・・そのつもりはない。」
「・・・・・・」
「今はな。」
にやりと笑い、死神鬼は殺へ手を伸ばす。
殺は反射的に身を引き、その手から逃れた。
「そう警戒するな。」
「・・・目的はなんだ。」
「・・・ふっ・・・クク・・・」
「何がおかしい。」
「随分と嫌われたものだな。」
「・・・・・・」
何を言っている。
相手の本意が読めない。
だが性根の歪んだ本性は知っている。
かつての強敵を殺は訝しげな眼で睨んだ。
「・・・殺、お前あの半妖と一緒になったらしいな。」
「・・・フ・・・どこで聞きつけたのやら・・・見事な執念だな。どこまでも私に執着する気か。」
殺は毒爪をかまえた。
「言ったろう、今はそのつもりはないと。闘いに来たのではない。・・・最もお前がそのつもりならわしは構わんがな。」
死神鬼は冷酷な笑みを浮かべた。
殺は今鎧も刀も身に着けていない。結界を通れる者などいないと踏んで、すっかり油断していたのだ。
それに常ならば此処には犬夜叉がいる。
犬夜叉と殺、二つの強大な妖気に恐れをなして他の妖怪はまず近付いて来ない。
死神鬼の存在は想定外だった。
今闘えば不利なのは明らかに殺。
だがいかなる状況に置かれようと引き下がる殺ではない。
殺は毒爪を振りかざした。
「・・・強情だな。」
なんなく殺の攻撃をかわし、死神鬼はその手首を掴んだ。
「ッ・・・下衆が。」
「フッ・・・」
死神鬼は掴んだ手首ごと殺を引き寄せる。
「!!・・・この・・・ッ」
「・・・・・・」
だが殺の抵抗に、死神鬼はあっさり手を離した。
「何度も言わせるな。闘いに来たのではない。」
「・・・・・・」
「通り掛けにお前のにおいがしたのでな。祝言を上げたことを思い出し寄ってみただけだ。」
死神鬼はあまりに警戒する殺を面白そうに見つめている。
言葉に嘘はなかった。
たまたまこの辺りの上空を通ったとき殺の妖気を感じたので降り立っただけ。
殺はムッとした。
つまりは何か、自分たちを冷やかしに来ただけということか。
「・・・ならば失せろ!!」
「クク・・・」
殺の様子を嘲笑いながら死神鬼は踵を返す。
だが顔だけを僅かに後ろへ傾けチラと殺を見た。
「ああ、一つ・・・忠告しておいてやろう。」
「・・・?」
「・・・そんな威嚇ばかりの荒っぽい猫のような気性ではそのうちあの半妖にも愛想を尽かされるのではないか?」
「!!・・・ッ」
口端を吊り上げ嫌味を言う死神鬼。
死神鬼が今の自分たちの状態を知っているはずはない。
それだけに見透かしたような図星を言われて、殺はカッと頭に血が昇った。
二度とそんな口を聞けないよう、今度は右顔もろとももいでやろうか。
殺は再び爪をふりかざした。
「・・・用がないのならとっとと消え・・・―――――」
だが。
!?・・・!!・・・ッ
ぐらりと揺れる視界。
強い眩暈。
まただ。
何でこんな時に・・・・・・!!
「ッ・・・」
どうしようもなく傾いてゆく身体。
だが、殺の身体が地面へ崩れることはなかった。
「・・・っと。」
「――――・・・!」
「・・・・・・新しい陽動作戦か?」
殺の眼に映る黒い羽。紫の髪。
「・・・!!」
背中に掛かる腕。
倒れる殺を視界の端に捉えた死神鬼が、殺を抱き留めたのだ。
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