二日前、楓の村を去ったあと殺生丸はずっと珊瑚の中の妖怪、その本体の臭いを探していたのだ。
「水で臭いが消えて時間が掛かったがな・・・」
珊瑚から発する僅かな妖気に気付いていた殺生丸。
己を殺す為にわざわざ取り憑いた理由は定かではないが、おそらく本体は別の場所に在るのだと察した。
どうすれば珊瑚を傷付けずに取り憑いた妖怪を祓えるのか。
珊瑚のことなど気に掛ける情は持ち合わせていないが、全てはりんの為。
元に戻さぬ限り珊瑚は己を狙い続けるだろう。
そうなればりんが巻き添えにならないとも限らないし、かといって珊瑚に手を掛ければりんが悲しむ。
先ずは本体を片付けてからだ。
凄まじい嵐の爪痕の残る山の奥地。
洞窟内の池に沈むおぞましい姿。
阿吽のふた回りはあろうかという巨大な化けコウモリ。
これが本体であろうことは判った。
意識が無い者を斬るのは望むところではないが、人間などに取り憑き己の命を狙うあさましい輩。
生かしておく理由はない。
殺生丸は爆砕牙でその体を斬り裂いた。
爆砕牙によって裂かれた箇所から亀裂は拡がり、バラバラになった肉片はやがて粉砕し水底へと沈んでいった。
そうして再び出向いた楓の村。
相手の出方を見ながら珊瑚から祓う術を探るつもりだった。
ただ一つ想定外の誤算だったのは家の中へ招き入れられ、皆を人質に取られたこと。
それによって一先ず相手の言いなりになる他なかった。
だが殺生丸は思うようにさせ手酷い仕打ちを受けながらも機を見計らっていた。
この状況下で反撃する為に必要な二つの条件。
珊瑚の中にいるのはただの肉片でしかないという確信と、マッチを奪い取ること。
『お前の血はさぞや極上の味がするんだろうね』
あのときの台詞から己を喰らうつもりでいることは分かっていたが、ではどのようにするつもりなのか。
“珊瑚”が殺生丸の血肉を味わっても何の意味もない。
変化でしようというのか。
もしも珊瑚の中で変化し巨大化でもしたら。
だからどのように己を殺すつもりなのかを見定める必要があったのだ。
そして瀬戸際の中で見えた相手の本当の目的。心臓を抉り出すなどという稚拙で残虐な行為。
それによって珊瑚の中の妖怪はただの肉片でしかないことがはっきりと判った。
おそらく心臓を持ち帰り本体に喰わせるつもりなのだろうと。
つまり、肉片自体には何の力もないのだ。
殺生丸は完全に勝機を見いだし珊瑚を見据えた。
その顔を見た犬夜叉は殺生丸を信じ珊瑚を殺しかねないほどの衝動を抑えた。
まさか沼獄自身が珊瑚に取り憑いた理由や経緯を明かすとは思っていなかったが。
全てが明確になった今、あとは珊瑚から沼獄を追い祓うだけ――――――――!!
「貴様にはもう戻る場所などないのだ。」
「・・・・・・おのれ・・・・・・!!」
「・・・貴様は己の復活に執着するあまり魂ごと意識を全てその肉片に移した。肝心の本体を捨ててな。それ故、本体に何が起こっていても貴様には分からなかった。繋がりとなる媒体が無いのだからな。本体が大事なら意識を残しておくべきだったのだ。」
「・・・ッ」
浅はかな計画で大妖怪に手を出した己の失敗に珊瑚の中の沼獄は打ち震える。
犬夜叉は既に臨戦態勢だ。
「クソ・・・ッ・・・よくも・・・!!」
「言ったはずだ。・・・後悔することになる、と。」
「ッ・・・ちくしょう、ちくしょう・・・ッ!!」
珊瑚は怒り狂い髪を掻き毟った。
この体の中に入れば干乾びることはないが、僅かな妖力さえいずれ失い消滅する。
他の体に乗り換えることは出来るが、同じこと。
上手く取り憑ける保障だってない。
とにかく自分には本来の体がもう無いのだ。
全部この男のせい。
ならば。
珊瑚は包丁を握り締めた。
「・・・フ・・・、あたしの負けだよ。」
「・・・・・・」
「もうこの体にいてもしょうがない・・・」
「・・・ならばその体から出て行け。」
「ああ、返してやるさ。だけどその前に・・・」
狂気を宿し残虐に光る珊瑚の眼。
「お前を殺す!!死ね!!」
腕を振り上げる珊瑚。
「!!!!」
一瞬の予想外の光景。
「!!・・・ッ・・・!!!!」
珊瑚を食い止める力強い腕。
殺生丸の前に立つ赤い衣。
「・・・弥勒!!」
「犬夜叉・・・っ!!」
七宝とかごめの驚愕と安堵の混じった声。
背後から珊瑚の腕を掴んでいるのは弥勒だった。
そして殺生丸を庇った犬夜叉。
犬夜叉は壁にもたれる殺生丸に覆い被さるようにして珊瑚から守っていた。
「・・・何をしているんです、珊瑚・・・!!」
ドクンッ
強い衝撃を受けたように全身が脈打ち、珊瑚の身体が揺れる。
「ア・・・ゥ・・・ッ」
制御し操っていた“珊瑚”の意識が覚醒し始めたのだ。
「・・・ッ・・・」
「珊瑚!」
混濁し崩れる珊瑚を支える弥勒。
「珊瑚・・・!」
「ッ・・・うるさい・・・!!」
珊瑚の意識を押さえ込もうとする沼獄。
「弥勒!珊瑚は取り憑かれておるんじゃ!!」
「!!・・・」
七宝の声にハッとし弥勒は懐を探るが、襦袢しか身に着けておらず護符はない。
法力を使えるほど体力も回復していない。
「・・・珊瑚・・・!!珊瑚、戻って来い・・・!!」
「ク・・・ウ・・・!!」
凶暴な沼獄の支配と仲間たちとの記憶。
二つの間で意識が揺れる。
だが、自分を呼ぶ愛しい男の声に雲っていた視界が次第に澄んでいく。
「・・・ほ・・・うし・・・さ・・・ま・・・」
「珊瑚!!私を見ろ!!」
今、目の前にいるのは。
「・・・法師さま・・・!」
「珊瑚・・・」
「ッ・・・グッ・・・ゲホッ!!」
「珊瑚!!・・・!?」
咳き込み、何かを吐き出した珊瑚。
「・・・それが取り憑いていた妖怪の正体・・・沼獄のようだな。」
殺生丸が鋭い視線を向けた先にはもぞもぞと動く小さな肉片。
ノミじじいの冥加ほどの大きさしかないが、凶悪な沼獄であることには違いない。
『おのれ・・・!!こうなったら一先ず別の体に・・・!!』
直接聞こえないが、皆の意識に響く沼獄の声。
突如肉片は立ち上がり、急激な速さで跳ねるように家から出て行く。
「そうはさせるか!!待て、てめえ!!」
沼獄を追って駆け出す犬夜叉。
『クソッタレ・・・!!半妖の犬が!!』
肉片でしかない沼獄が犬夜叉を振り切れる筈もなく、即座に踏み付けられた沼獄はどうにか逃げようとグネグネと身を捩り暴れる。
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