視界は全てが翠。
遥か永い樹齢の巨木たち。
澄んだ空気。
立ち並ぶ杉の深い香り。
人間が立ち入ることを赦さないような神聖さを感じさせる場所。
その樹海の奥へ降り立った殺生丸は手近な木に腰を下ろし、小さく息を吐いた。
実のところ立っているのも辛かったのだ。
多量の出血からくる倦怠感と眩暈。
酷い傷の痛み。
だがそれも此処に居ればじきに傷は癒え血も止まるだろう。
心地よい静寂の中、殺生丸は目を閉じた。
今は身体を休めしばしの安息を――――――――
・・・の、はずだった。
ガサガサと草木を揺らし凄い勢いでそれが近付いてくるまでは。
だんだんと接近しているのはにおいで判っていた。
でも出くわすことはない。
きっとこの山に食い物でも獲りに来たのだろう。
相手も己が居ることを判っているのだから避けて通るだろうし、こちらも今はつまらぬ喧嘩に付き合ってやる余裕はない。
だが目的は己だったらしい。
いよいよ近付いてくる。
ガサッ
「っ・・・、・・・殺生丸・・・」
草木を掻き分け現れたのは犬夜叉。
「・・・・・・」
当然だが予想通りの相手。
一目その姿を確認すると殺生丸は再び目を閉じた。
何事もなかったかのように犬夜叉を無視する。
犬夜叉はそんな殺生丸に乱暴な足取りで近付く。
その気配に殺生丸は渋々目を開けた。
何だというのだ、一体。
全くおちおち寝てもいられぬではないか。
さっきの今でまだ言い足りぬ事でもあるのか。
存在そのものが騒々しいようにさえ感じる。
何の用件かは知らないが、面倒は御免だ。
ならばこちらから場所を変えるか。
そう思い殺生丸は立ち上がろうとするが、出来ずに顔を顰める。
「・・・ッ・・・!」
ズキリと全身に走る鋭い痛み。
この地に来たことで気が緩んだのかもしれない。
今頃になって深手を負ったことを我が身がもたらす痛みでもって思い知る。
犬夜叉はその様子を見、兄の神経を逆撫でするような一言を発する。
「随分へばってんじゃねーか。」
「・・・・・・」
殺生丸は動じず、表情は変わらない。
半妖の愚弟ごときに今更何を言われようと何も思わない。
だが、わざわざ追い掛けて来てまで言うことなのか。
こんなとき、ふと本当に殺してやろうかと思う。
ただでさえ誰にも見られたくなかった隠し切れない苦痛。
それをこの半妖に見られて苛々しているところに、結局の憎まれ口。
殺生丸が殺意を覚えるのも無理はない。
「・・・それで?」
「あン?」
「今なら私を倒せるとでも思ったか。」
「・・・」
犬夜叉はムッとした。
そんなわけねーだろ。
慣れたやり取りとはいえ、いい加減うんざりする。
そうさせることしか言えない自分にも。
本当にこの兄は解っていない。
自分の行いがどれだけ周りを振り回しているかを。
「・・・お前さ、そんなこと言って俺がほんとに闘いを仕掛けたら太刀打ち出来んのかよ。」
「見くびるな。」
「・・・あ、そ。」
「!」
突然ザッと動いた犬夜叉に殺生丸は驚くが、怪我をしている兄に犬夜叉が手を上げるはずもなく。
「しばらく此処で寝るから。」
「・・・」
殺生丸がもたれている木の側面に腰を下ろした犬夜叉。
ふてぶてしい態度で胡座をかき、早速目を閉じている。
「・・・・・・」
喧嘩をするでもなく、犬夜叉が傍に居る。
その意図するところに気付きたくない。
らしくもない。
互いに。
そんな関係ではないだろう。
・・・己が半妖ごときに。
「犬夜叉。」
「・・・・・・」
「他所(ほか)へ行け。」
「・・・此処がいいんだよ。」
「・・・・・・」
犬夜叉が居れば他の妖怪は寄り付かない。
気を張ることもなく己は眠れるのかもしれない。
だがそんな安堵はいらない。
「犬夜叉。」
「・・・しつけーな。寝てえんだよ、俺は。・・・テメーもさっさと寝ろよ。」
誰がそれを邪魔したんだと言いたいが、今はこの半妖を此処から退けることのほうが先だ。
そうしたら己も休める。
「・・・貴様、寝首でも掻くつもりなのだろう。」
「・・・」
これくらい言ってやれば反論しながらも離れるだろう。
邪険に扱えばこの弟のこと。腹を立て去ってゆく。
そう思っての言葉だった。
だが、その目論見は見事に外れた。
一瞬の間。一瞬の出来事。
ダンッ!!
「―――――・・・」
木にめり込まんばかりの勢いで殺生丸の両側に叩き付けられた手。
犬夜叉は殺生丸の上に跨り、木に手をついたまま覆い被さるように殺生丸を見下ろしている。
「・・・じゃあホントにそうしてやろうか?」
刀に手を掛ける犬夜叉。
「!」
殺生丸は咄嗟に身構え自身も刀に手を伸ばすが、犬夜叉は刀を抜くことなく鞘ごと鉄砕牙を傍らに置く。
そして次には犬夜叉の顔が間近に迫る。
「―――――」
何もかも突然の犬夜叉の行動。
全てが不可解。
怪我などもはや関係ない。蹴り飛ばしてやろうかと思った。
だが出来なかった。
その眼に惹き込まれて。
前髪の隙間から見えた犬夜叉の眼。
何かを訴えるような意思を持った強い瞳。
その眼は野生的で怖いくらい純粋で。綺麗で。
「!!・・・っ・・・」
突如伸ばされた犬夜叉の手。
殺生丸の身体が強張るが犬夜叉は殺生丸の肩を押さえつけるように掴み、口付けた。
押し当てられた唇はすぐに離れたが、殺生丸が何か言うより先に犬夜叉はもう次の行動に移っている。
頬をかすめて首筋に降りる熱。
何だというのか。
己は何をされている?
何故黙っている?
有り得ないことをされているのに。
押さえつける手が乱暴なようで優しいから?
本気
・・・なのだと。 解ったから?
口付けられた箇所から犬夜叉の熱が拡がる。
不思議なくらい嫌悪感も違和感もない。
己は怪我のせいでどうかしてしまったんだろうか。
「・・・抵抗しねーんだな・・・」
「・・・・・・」
言いながらも犬夜叉の手は殺生丸の鎧の紐を解きに掛かっている。
いつの間にか殺生丸の刀も抜かれ傍らに放られている。
抵抗などさせない。
受け入れざるを得ないような圧力。
そのくせ殺生丸が本気で嫌がれば犬夜叉は行為を止めるのだろう。
だからこそ伝わる愛情を振り切れない。
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