「この先からはお前の態度次第だ。大人しくその命をよこせば小娘たちに危害は加えない。」
「ここで良いだろう。」
「・・・いいや、駄目だ。・・・お前は強い。あたしも保険が欲しいのさ。」
「・・・・・・」
保険というのは中に居るりんたちのことだろう。
一先ず言うなりになる他ないか。
今、妙な動きを起こせば珊瑚の中の妖怪を取り祓うのも難しくなるかもしれない。
しかし家から離れるどころか家の中へ入るはめになるとは。
・・・まあ良い。
何処だろうと結末は変わらぬ。
そう思い、不本意ながら殺生丸は家の中へと入る珊瑚の後に続いた。
入るなり殺生丸は不気味な違和感を覚えた。
家の中に何か細工が仕込まれているのかと思ったがそうでもない。
武器も見当たらない。
珊瑚は普段退治屋の格好ではなく村娘の着物姿をしており、この日もそう。
そもそも珊瑚の中の妖怪にも珊瑚本体にも当然ながら殺生丸を相手に出来る程の力はない。
りんたちを人質に取ったところで武器がなければ殺生丸に傷一つ負わすことは出来ないだろう。
一体どうしようというのか。
何を考えている?
不敵な笑みを浮かべる珊瑚。
そんな珊瑚に鋭い目線を向け対峙する殺生丸。
「殊勝だねえ・・・お前のような者が言いなりか。これでもうお前は篭の中の鳥だ。何処にも逃げられない。」
「・・・・・・」
「この家の中には毒薬を撒いてある。」
「・・・でたらめを。」
そんな臭いはしない。
殺生丸は訝しげに相手を見やる。
「嘘じゃないさ。・・・無臭だが可燃性の薬剤をそこら中に撒布してある。何もしなければ無害だが一定の温度で毒に変わり蔓延する。・・・もっともその前に人間たちは焼け死ぬだろうけどね!・・・この娘・・・退治屋に憑いて良かったよ、特殊な毒を常備していて本当に役に立つ。ククク・・・」
「・・・・・・」
着物の袂に忍ばせていたマッチを取り出し、あざとくチラつかせる珊瑚。
暗にそれは殺生丸が刃向かえば火を放つということを意味している。
どうやら己に余裕の勝機はなさそうだ。
奥の部屋には臥せている弥勒、りん、七宝の気配。
全員を一度で瞬時に避難させることは難しい。
ならばりんたちがこちらの様子に気付く前に事を終わらせてしまいたい。
だが、そんな殺生丸の算段を余所に奥の襖が開く。
七宝だ。
「おっ!殺生丸!なんじゃ来ておったのか。りん、殺生丸が来ておるぞ!!」
「ふ・・・」
手元のマッチをまたも殺生丸に見せ付ける珊瑚。
七宝からは珊瑚の表情は見えない。
「チッ・・・」
舌打ちし、奥の部屋へ向かおうと踏み出した殺生丸。
後ろ手に何かを取り、殺生丸へ振りかざす珊瑚。
駆けるように出て来たりん。
三者の動きは同時だった。
「!!!!・・・ッ・・・!!」
胸に衝撃を受けた殺生丸。
左胸に深々と刺さる包丁。
その柄を持つ珊瑚の手。
珊瑚が殺生丸を刺したのだ。
一瞬の出来事に七宝は唖然とし、りんは驚愕に目を見開いている。
「・・・鎧が邪魔だったねえ・・・」
「っ・・・」
鎖骨と鎧の中間の位置を刺している包丁。
珊瑚は薄ら笑いを浮かべているが眼は少しも笑っていない。冷酷そのもの。
まさか包丁とは。
武器としての認識を欠いていた。
「な・・・な・・・なにやっとんじゃ、珊瑚!!」
「殺生丸さまっ!!」
「寄るな!!」
我に返った七宝とりんは駆け寄ろうとするが、殺生丸の強い制止にビクつき留まる。
「・・・そんなにこの人間と子狐が大事かい。アンタほどの者が・・・落ちぶれたもんだ。妖怪のくせに。」
「人間などに乗り移らねば何も出来ぬ下衆に言われる筋合いはない。」
「フン。・・・こっちだって好きで薄汚い人間の女に憑いてるんじゃないよ。この女の心を覗いたときに見たお前らの日常の茶番劇・・・虫唾が走るわ。」
「・・・・・・」
「少し気が変わった。・・・お前はたっぷり嬲って弱らせてから殺してやる。」
「ッ殺生丸さま!!」
「りん!!駄目じゃ、近寄るな!!」
もう既にいつもの珊瑚ではないと判っているが、尚も殺生丸の元へ行こうとするりんを七宝は引き止める。
珊瑚はそんな二人を尻目に殺生丸の胸に刺さる包丁を抉るように引き抜いた。
「!!ッ・・・ゥ・・・」
「ふふふ・・・」
ドクドクと脈打つように溢れる血。
見る間に白い着物が赤く染まってゆく。
「次は何処にしようか・・・!」
惨忍な笑みを浮かべ、包丁を振り上げる珊瑚。
「やめるんじゃーっっ!!」
「!・・・邪魔すんじゃないよ!!」
「ぎゃっ!!」
阻止しようと珊瑚の腕にしがみ付いた七宝は首根っこを掴まれ、叩き付けるように床に投げ飛ばされた。
「七宝!」
床に転がった七宝に駆け寄るりん。
「・・・全く・・・こいつがせっかくお前らの為に大人しく殺されようとしてるってのに。邪魔されちゃあこいつの心意気が無駄になるってもんだ、なあ!?」
そう言い、珊瑚は再び包丁を殺生丸に振りかざした。
弧を描くように血しぶきが飛ぶ。
スパッと袈裟懸けに切れた着物の襟。
殺生丸は右の首の付け根から胸元へ斜めに斬られていた。
「・・・ッ・・・!!」
「いやああッ!!殺生丸さま!!」
「殺生丸っ!!」
「寄るなと言ったろう!!」
このままでは殺される。
七宝はまたも珊瑚に飛び掛ろうとするが、制止の言葉以上に強く鋭い殺生丸の眼光に踏み止まる。
殺生丸は生を諦めていない。
意図的にそうしているのだとその眼を見て察したが、やはりこのままでは。
「・・・何故じゃ・・・何で反撃せんのじゃっ!・・・死んでしまうぞ・・・!!」
「・・・・・・」
もちろん殺生丸はおめおめとされるがまま死ぬつもりなどない。
機を見計らっているのだ。
だが、さすがの殺生丸も多量の出血に苦痛を隠しきれず半ば崩れるように壁へともたれ、首元を手で押さえた。
「クク・・・いい顔だよ。」
包丁の峰で手のひらをトン、トン、と叩きながら殺生丸に近付く珊瑚。
「やめて!!やめてよ、珊瑚さま・・・!!」
非情な珊瑚の仕打ちにりんは泣きながら駆け寄ろうとするが七宝も苦渋の思いで引き止める。
ドォンッ!!
絶体絶命か。
そう思われたとき、叩き壊すような衝撃音と共に現れたのは犬夜叉だった。
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