犬夜叉は怒りにも似た感情で殺生丸を見つめた。
犬夜叉を制する鋭い眼。
“
まだだ ” とでも言うような意思を持った強い瞳。
機を待っているのが犬夜叉にも分かった。
家には弥勒、りん、七宝、かごめ・・・こんな場所で闘えば巻き添えは免れない。
だからなのか。
自分が下手に動いて判断を欠けば皆が、殺生丸が、死ぬ。
だが、どんな勝算があろうと身が持たなければ意味がない。
否、いずれにしたって珊瑚自身の体もこのままでは。
結論の瀬戸際に立たされ嫌な汗が背筋を伝う。
そんな犬夜叉の思考は珊瑚の更なる暴挙で中断された。
「フン、こいつが邪魔するなと言っているんだ、お前はそこで大人しく見てな!!」
殺生丸の腕に刺さる包丁を一気に引き抜く珊瑚。
「ッ!!・・・ク・・・ァ・・・ッ」
じわりと毛皮に赤が滲み、指先へと伝う。
流れ落ちる血が降り始めの雨のように床を濡らしてゆく。
「殺生丸さま・・・っ」
「犬夜叉、何とかしてよ!!殺生丸が死んじゃう!!」
「分かってる!!」
泣きじゃくるりん。
かごめの悲痛な叫び。
どうする、どうすればいい、判断を誤れば殺生丸が。皆が。
「・・・・・・」
「犬夜叉!!」
「・・・かごめ、七宝たちとあっち行ってろ。」
「!!でも・・・っ」
「いいから行け!」
「・・・っ」
かごめには霊力があるし弥勒の居る部屋には弓と破魔矢が置いてある。
かごめなら少しの間はりんたちを護ってやれる。
その間に犬夜叉が珊瑚の動きを封じる。
その意図に気付いたかごめは、珊瑚たちを回り込んでりんの元へ駆けた。
だが、そんなかごめを冷めた視線で追いながら珊瑚は言い放つ。
「無駄だよ。」
かごめはりんたちを自身の後ろへと匿うようにし珊瑚と対峙する。
「・・・珊瑚ちゃん・・・どうしちゃったのよ・・・何で・・・」
「かごめ。そいつは珊瑚じゃねえ。・・・珊瑚から妖気のにおいがする。」
「!!・・・」
もしかしたら、という気はしていた。
大体、全てがおかしい。
『
珊瑚 』が殺生丸を殺す理由などないではないか。
でも取り憑かれているというのなら何もかものつじつまが合う。
「・・・あたしはただこの男の命が欲しいだけ。大人しくしていればお前たちに危害は加えないでやろうってんだから有り難く思いな。」
「ふざけんなッ!!!!」
犬夜叉は怒鳴るが珊瑚は動じずにマッチを見せる。
「!?」
「フフ・・・この家にはね・・・」
家中に毒薬を撒布した一部始終を話し、マッチを懐にしまう珊瑚。
「分かっただろう?刃向かえばどうなるか。・・・この男はくだらない人間達(虫けらども)の為に自分の命を捨てることを選んだんだ。気持ちを酌んでやったらどうだい。」
「・・・ッ・・・」
そういうことかよ・・・
犬夜叉はチラと殺生丸の眼を見る。
殺生丸は絶対に死ぬつもりはない。
機を待っている。
だけど・・・駄目だ、もう。 俺が待てねえかもしれねえ・・・
「安心しな。用が済んだらこの肉体も返してやるよ。この男の亡骸もね・・・」
「!・・・」
“亡骸”・・・・・・
兄の酷い姿と溢れる血の匂いに精神を覆いつくされ限界の境地だった犬夜叉。
だが、その言葉にふと違和感を覚えた。
そもそも殺生丸を殺して何の得がある?
「ククク・・・」
惨忍な笑みを浮かべながら殺生丸の髪を掬い取り、弄ぶように少しづつ指先から散らす珊瑚。
「・・・・・・」
殺生丸は怪我の苦痛に耐えながら振り払いもせず、珊瑚を見据えている。
犬夜叉もその様子を注意深くじっと見つめた。
この危機感の中で芽生えた妙に冴えた冷静な感覚。
珊瑚は・・・この妖怪は殺生丸に対する怨み言を一つも言ってはいない。
それに怨恨からによるものなら当て付けにりんたちが皆殺しにされたっておかしくない。
第一怨みがあるなら取り憑いたりせず自らが直接出向けばいいのだ。
では何故わざわざ取り憑いたのか。
おそらく珊瑚の中にいるのは今まで臭いすら気付かなかったほど小さな妖怪。だとすると殺生丸を殺しその肉体を喰らって妖力の増幅でもしようというのか。
だが、さっきこいつは亡骸は返す、と言った。
それなのに目的は殺生丸の命・・・・・・
「・・・殺生丸を殺して何になるんだ。てめえ一体・・・」
「・・・言っただろ。あたしはこの男の命が欲しいって。」
“命”・・・
「さあ、そろそろ終わりだ。」
そう言って殺生丸の既に血塗れた胸元を斬れない程度に包丁の切っ先でなぞる珊瑚。
カツンと刃が鎧で止まる。
「・・・本当に邪魔だよ。こんなものを着けているばかりにお前も余計に痛い思いをすることになる。・・・あのとき斧で首を落とされていれば楽に死ねたのにねえ。」
殺生丸はその意味するところを察し、犬夜叉も薄々勘付いた。
この妖怪がこれから殺生丸にしようとすること。
考えただけで身の毛もよだつような惨忍でおぞましい仕打ち。
「抵抗しなければ案外上手くいくかもしれないけど・・・抵抗すればお前の胸はグチャグチャだ。・・・でも
ま、その綺麗な顔だけは傷付けないでやったんだからいいだろう?」
犬夜叉はゾッと背筋から脳天へ冷たいものが走るのを感じた。
やはり珊瑚は想定通りのことをしようとしているのだ。
生きながら身体の中を刃物で抉り回されて抵抗しない奴などいるわけない。
身悶えて神経が狂いそうなほどの激痛の中で息絶える。
殺生丸のそんな姿、想像しただけで俺は。
叩くように脈打つ怒りで頭がガンガンする。
犬夜叉は血走った眼で殺生丸を見た。
「!―――――・・・」
そのとき見た殺生丸の顔。
「・・・・・・」
「可愛いもんだね。あたしを殺したいって眼をしてるくせに大人しくなっちゃって。・・・半妖、お前もこいつらがそれ程大事か。」
「・・・・・・」
「・・・どいつもこいつも妖怪のくせに人間なんぞに肩入れしやがって。まあ、いい。・・・そうだ、最期に教えてやろう。あたしが何故この女に取り憑いたのか。お前だって知りたいだろう?自分の心臓が抉り出される前に。」
「・・・・・・」
沈黙したままの兄弟。
固唾を呑んで見守っているかごめたち。
瀬戸際の緊迫した状況下の中、珊瑚は悠々とした態度で話し始めた―――――――――
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