嵐のあの日。
その日もあたしはずっと餌となる妖怪を待っていた。
普段は中々誰も寄り付かない洞窟だがこんな日は一匹くらいやってくるだろう。
そう思いじっと身を潜めて辺りを伺っていた。
晴れの日も雨の日もずっと洞窟。
外から僅かに入る光を仄暗い水の中から眺める日々。
惨めだった。
自分は最強の化けコウモリ、沼獄。
本来ならば自在に空を飛ぶ身。
半日以上皮膚が外気に触れていると干乾びて死んでしまう為洞穴内の池を住処とし必要以外はずっと水の中で過ごすが、それだけに一たび外に出れば獲物は百発百中で捕らえる。
だがあるとき、他の妖怪との縄張り争いで深手を負った。
致命傷は免れたが片翼を失い二度と飛べなくなってしまった。
這うようにして辿り着いたこの洞窟。
どうにか居つくことは出来たが、肝心の獲物が滅多にやって来ない。
だからたまに小妖怪が現れたときは飛び付きそうになるが息を潜めてこちらに近付くのを待ち、近付いた瞬間に一気に水の中へ引き込み貪り喰った。
そうしてこの数年どうにか生き永らえてきたが、それももう限界だった。
屈辱の日々より何より、体がもう持たない。
ちんけな雑魚妖怪ではなく、もっと力の強い妖怪を喰わなければあとひと月も持たないかもしれない。
そもそも翼さえ・・・翼さえあれば。以前のように自由に獲物を・・・
それで思い出した。
もう一度翼を生やし完全復活する方法は一つだけある。
強大な妖力の持ち主の心臓を喰うこと。
だが、今の自分にどうやったらそんな機会があるのか。
大物が現れたところで返り討ちにされ、喰うどころかこちらが殺されて終いだ。
命を落としかねない賭けより残り少ないその日その日を地道に生き延びるより他ない。
まずは今日この日。
嵐は願ってもない好機。
獲物がやって来るのをじっと待った。
そこへ予想外の珍客。
凄まじい暴風雨と落雷に逃げ込んできた人間の女。
女はあたしの居る池のすぐ傍まで来た。
でも何かを感じたのか、辺りを警戒し始めた。
水であたしの臭いはほとんど消えているし、まして人間が妖気を察知出来るはずはない。
この女ただの人間ではないのか。
ゆっくり水面から顔を出すと女はすぐに気付き後ずさった。
人間など喰っても力にはならないし、憂さ晴らしにこの牙で八つ裂きにでもしてやりたいところだが、無駄に力を使う余裕もない。
それにこの女・・・やはりただの人間ではない。
僅かだが染み付いた妖気のにおいがする。
「・・・お前、面白いな。」
「!!・・・」
「そんなに怯えずとも取って喰ったりしやしないよ。」
「・・・そう言って人間を襲う妖怪を何匹も見てきた。これでもあたしは退治屋だ。油断出来る相手か否かは大体判る。」
「ほう。・・・だがこっちは見てのとおりだ。この有様でお前を襲うような無意味なことはせん。」
「・・・・・・」
「こっちだって余計な力を使いたくないのさ。餌にもならない人間を襲いやしない。」
「・・・・・・そうかい。なら、此処で少し休ませてもらうよ。」
「好きにしたらいい。」
こちらが襲う気配がないのを察すると女はよほど疲れているのか濡れた着物をそのままに座り込んだ。
退治屋か・・・
この女、本当に妖怪に慣れている。
化けコウモリのこの姿を見ても驚かないのだから。
それに本人から妖気のにおいがするのは何故だ?
普段から行動を共にしている妖怪でもいるのではないか。
だとしたら。
この女を使って餌をおびき寄せられるかもしれない。
上手くすれば大物だって・・・
「・・・女。お前、何故此処に?」
「・・・・・・」
「嵐の中こんな山奥に人間が一人で足を踏み入れるとは・・・よほど仕留めたい妖怪でもいたのか。」
「・・・・・・」
「・・・それとも・・・」
「・・・・・・」
「訳有りか。」
「・・・っ、うるさいな、関係ないだろ!」
「ハハハ、やはり訳有りか!聞いてやるぞ、話してみろ。」
「あたしはただ薬草を・・・、ッ!!」
目論見通り女はこっちを見た。
眼が合う瞬間を待ってたんだよ。
「ッ・・・な・・・にす・・・」
「喰いやしない。ちょいと心を覗かせてもらうだけさ。」
コウモリの出す超音波のようなもの。害はない。
ただあたしは特殊な波動を使って相手の気と同調し精神の中に入り込むことが出来る。
その間相手は金縛りのような状態になるが。
「・・・ッ・・・」
「抵抗しても無駄だよ。もうお前の意識は捉えた。」
「く・・・」
「ふふ・・・見えてきたよ・・・」
どんどん浮かび上がる、女の背景。
思った通り妖怪と日常を過ごしている。
常に纏わり付く猫又と子狐。
それに赤い衣の犬妖怪。おそらくこいつは半妖。
巫女らしき老婆と若い娘。法師。ガキ共。小娘。
驚いたのはこの小娘。何者なのか。
白い妖怪を手懐けている。
この白い毛皮に白い髪。冷たく美しい貌。おそらく化け犬一族の大妖怪。
人間の小娘と大妖怪がどんな繋がりがあるのかは知らないが、女を取り巻く大体の関係性は分かった。
妖怪のくせに人間と慣れ親しみ、人間の分際で妖怪を手懐ける。虫唾が走るが、今のあたしには好都合だ。
最近の女の状況も分かった。
どうやら病に掛かった法師を助ける為にこの嵐の中、万病に効く薬草とやらを探していたらしいな。
全く呆れる。
だがおかげでまたと無いこれほどの好機が転がり込んできた。
「女。法師を治す方法は他にもあるぞ。」
「!?・・・」
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