贖罪    4P




 


 あれは去年の1月の事だった―――――――


 就職も決まり、殺生丸は在学中にあの家を出て早々に新居で生活をすることを決めた。
 それが今のこの高層マンションだ。

 殺生丸と離れる事に俺はどうしようもない焦燥感を感じ、武術の稽古にも身が入らずこれまで以上に無様な敗北を繰り返していた。
 殺生丸から呼び出しを受けたのはそんな時だった。


「・・・明日の明け方・・・5時に、鉄砕牙を持って私の部屋に来い。」
「!?・・・え・・・?・・・あっ、ちょっ・・・ッ」

 言うだけ言って殺生丸はもう踵を返している。
 俺はまだ返事をしていないのに。

「・・・ッ、殺生丸・・・っ」

 ・・・行ってしまった。

 相手が要求を呑むと知っての上でのことか。
 本当にあの女そっくりだ。
 何の根拠があるのか、相手が応えることを確信している。
 事実、既にもう俺は呼び出しに応じる気でいる。


 それにしても、一体何の用があるのだろう。
 殺生丸が俺を自分の部屋に呼び出すなど初めてだ。
 部屋の前を通ってたまたま出て来た相手と鉢合わせる。それだけの偶然なのに煩わしそうに俺を見据えて眼で無言の威圧を掛けてくる。
 そんな奴が俺を自室に招き入れるなど、よほどの用。
 しかもあの刀・・・鉄砕牙を持って来いと言っていた。
 どんな謂れとどれだけの価値があるのかは知らないが、俺が譲り受けたあの刀に殺生丸が相当な想いを持っていたことは端から解っている。
 だが、刀を俺に持って来させてどうするつもりなのか。
 今更まさか刀を俺によこせと言ってくるとは思い難い。
 父親の遺言を勝手に覆すような真似はあいつはしない。あの女の目を盗んで刀を強奪するつもりなら当に出来たのに、しなかった。そもそもコソコソとそんな事をする気性じゃない。
 とにかく応じると決めた以上、鉄砕牙を持って行く。



 妙な緊張のせいか寝付けず、ほとんど一睡もしないまま約束の刻を迎えた。

 長い廊下の角を幾度か曲がった場所にある奥まった部屋。
 あの女の部屋とは多分対極に位置する。

「殺生丸。俺だ。・・・入るぞ。」

 襖を静かに開けると、大きな一枚硝子の窓から薄闇に広がる庭が見えた。
 殺生丸はその前でこちらに背を向け、和服姿で立っていた。

「・・・殺生丸・・・」
「・・・・・・」

 この家に来て初めて見たとき同様、濃紺の袴。固く締められた帯。凛とした姿。
 俺は殺生丸に漠然と見惚れた。

 時として憎く。
 どこまでも愛しい。
 俺の大事な人。

 “離れたくない”
 沈黙の背中にそれだけを強く思った。

 俺と殺生丸。
 二人だけの空間。
 もし・・・もし今、気持ちを伝えられたら・・・


「犬夜叉。」
「!」

 急に名を呼ばれて俺はドキリとしたが、振り返った殺生丸と目が合ったとき急激に嫌な予感が迫り上げてくるのを感じた。
 相手の様子に、浸り掛けたほの甘い感傷から一気に現実に引き戻される。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 沈黙の今この瞬間が怖い。
 今まで見たこともないような殺生丸の顔。
 冷酷でもない。怒りでもない。無表情の中、眼だけが硝子細工みたいに澄んでいて人形みたいだ。
 手には天生牙。あの時殺生丸が譲り受けた刀。
 俺は鉄砕牙をギュッと握った。

 ――――――・・・まさか・・・だよな。

 冷や汗が頬を伝う。
 相手はゆっくり静かにこちらに近付いて来る。
 距離は縮まっているはずなのに近付けば近付く程相手が遠く感じる。
 次の台詞を聞きたくない。

「・・・・・・犬夜叉。構えろ。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 ああ、そうか・・・そうだ・・・何を焦っているんだ、俺は。
 俺を見据える冴え冴えと澄んだ眼光があの時のあの女とシンクロして良からぬ想像が廻ったが。
 これは太刀の稽古だ。
 譲り受けた刀を合わせて最後に真剣勝負をしたい。そういうことだったのだろう。

「・・・構えろ。」
「分かったよ・・・」


 それにしてもこんな黎明の刻から太刀の稽古とは。
 やはり乗り気はしなかったが、俺は言われた通り鉄砕牙を構えた。
 どうせ俺は殺生丸に勝てやしない。
 だったらさっさと終わらせて・・・

「刀を抜け。」
――――・・・」
「・・・鞘から刀を抜けと言っている。」
「・・・・・・」

 ・・・冗談だろう。

 並よりは広い部屋だが、狭い場所だ。十分な間合いなど取れない。
 それ以前に真剣で太刀合いなどすればどういう事態になるかくらい判っているだろう。
 正気の沙汰じゃない。

 凍り付く俺を余所に相手は美しい所作で刀を鞘からスラッと抜いた。
 青白く輝く刃。

「!!・・・」

 俺は恐怖で体が竦み上がった。




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