贖罪    5P




 


 夢であってほしい。
 時間を巻き戻したい。用事があると言って断れば良かった。
 そこで俺はハッとした。
 ・・・つくづく頭の回る奴だ。朝の5時から用事などそうそう無い。いずれにしても殺生丸の目論見から逃れることは出来なかっただろう。

「・・・殺生丸・・・」
「・・・・・・」

 相手の眼に一切の揺らぎは皆無。
 本気だ。
 常識で考えたありきたりな言葉を並べてもこの状況は回避出来ない。
 何を言っても却下される。

 覚悟を決めるしかない。
 俺は震える手で鞘に手を掛けた。

 それにここでビビって退くのは駄目な気がした。
 今逃げれば永遠に殺生丸を失う。
 出逢った時からの想いが、殺生丸に対する思慕が、全部嘘になってしまう。
 そんな気がした。
 勝てなくても“弱い”とは思われたくない。
 逃げたくない。
 プライドは無くてもお前への意地はある。

 “覚悟”の定義は分からない。
 だから誰か以上に覚悟があるとかそんなことは言えないけど。
 俺だって本気だ。

 俺は鞘から刀を抜き、構えた。
 殺生丸の天生牙とは対照的に金色を帯びて輝く刃。

 自分の心臓の音だけが全身に響く。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 互いに黙し見つめ合う。
 先に動いたのは殺生丸だった。

「!!ッ」

 ギンッと刃物と刃物がぶつかる、もの凄い音がした。

「ッ・・・!!」

 本物の日本刀だ。
 交わる刃に重さを感じる。

 俺を殺すつもりなのか。
 相手に邪念は無い。
 躊躇があればこんなに潔く刀を振って来ない。

 鋭く重い金属音を立てて鬩ぎ合う。

 相手のほうが身のこなしが素早い。
 踏み込みが深い。
 振り払ってもすぐに間合いを詰められて接近戦になる。

 一瞬一秒が命懸けだ。

 手にしているのは真剣。
 僅かでも掠ればタダじゃ済まない。
 隙を作れば斬られて肉が飛ぶ。
 その上で刀を相手に向け構えたあの瞬間に、互いに覚悟は出来ている。

 常ならとっくに俺は刀を薙ぎ払われ負けているが、この時ばかりは必死で攻防した。

 一切の感情を捨てて剣を振るう。

 だけど、ここまでして俺が憎いのか。
 命を懸けるほど俺が疎ましいのか。

 俺か、お前か。
 どちらかが死ぬまで刀を交えるのか。


 決死の攻防の中、込み上げる想い。
 俺は涙を流していた。


「・・・ッウオオオオオオオォッ!!!!」

 全ての想いを持って全身全霊で刀を殺生丸に向かって振りかざす。

「・・・――――
「!!!!」

 一瞬のことだった。
 その一瞬を止められなかった。

 もう避けられない。

 殺生丸は瞬間的に防げたはずの俺の刀を防がなかった。

「・・・ッ・・・せ・・・ッ」

 バカヤロウ!!!!

「殺生丸・・・ッ!!」
――――・・・ッ・・・・・・」

 殺生丸の手から天生牙が落ちる。
 濃紺の着物がぐっしょり濡れて深く染まっていく。
 左腕から止め処なく流れ落ちる血。

 斬った感触もないほどの刃。
 多分骨までいってる。

 グラリと床に崩れる殺生丸を俺は抱き留めた。
 出血多量。
 見たこともない血の量。
 死が頭を過ぎった。
 このままでは人を呼ぶ前に失血死する。
 俺は咄嗟に自分の着ていた服を脱いで引き千切り、殺生丸の左腕の根元に巻き付けきつく縛った。

 ・・・何でだよ・・・
 俺がこうなるはずじゃなかったのか。

 何で・・・・・・!!!!





 すぐに病院に運ばれ名医のもと手術は成功したが、殺生丸の左腕は二度と動くことはないかもしれないと医者に宣告された。

 取り戻せない時間。
 悔恨はない。
 俺と殺生丸。二人の間での事。
 だけど俺が傷を負わせた。

 病室に入ってきたあの女に俺は黙してただ深く頭を下げた。
 自分の息子がとんでもない重傷を負ったというのに女の表情は一見普段のそれと変わらず凛と落ち着いていたが、病室で眠る殺生丸を直に見て至極安堵したようだった。
 ふと垣間見せたそれは殺生丸には決して見せることのない、“母親”の顔。
 そして一切弁明しない俺に女は追及するでもなくただ真っ直ぐ俺の眼を見、こう言った。

「・・・犬夜叉。お前が詫びる必要は何一つないぞ。」

 このとき、俺は初めてこの女の本質的なところが解った気がした。
 自分の感情をぐっと押さえて深くへ納め、まずは相手を見る。
 独断的偏見で他人を責め立てるようなことは決してしないのだ。この人は。
 判断力と決断力。先見の眼。培った遥かに大きなキャパシティー。あの屋敷・・・大名家をこの女の器量が束ねている。

「・・・・・・俺が、殺生丸を助けていくよ。この責任は取る。」

 そう言った俺に、女は目を細めて笑んだ。
 その顔はやはり何とも強く優しい母の顔だった――――――――








 俺はあの時の事を忘れたことはない。
 そしてこれからも忘れることはない。

 暗黙の合意で両者覚悟の上での太刀合いだった。
 だから“後悔”をするのは違うと思う。
 だから、背負っていく。
 ずっと俺が支えていく。

 そう誓ったはずなのにな・・・・・・



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