宿り花 -ほんとは半々、されど愛おしきは-    15P




 


 今なら簡単だろう。そんなこと。
 その爪の毒が僅かでも注がれればこの腕は溶け落ち、お前などに本気で投げ飛ばされればそれだけで致命傷だ。
 なのにこうして今、振り払いもしない。

「・・・・・・」
「・・・・・・人間ギライじゃなかったのかよ。」
「・・・お前が嫌いだ。」
「フッ・・・」
「離れろ。」
「・・・ああ、もう行く。」

 こんな姿でお前の荷になるのは御免だからな。

「・・・朝には戻る。だから此処に居ろ。」
「・・・・・・勝手にしろ。」

 犬夜叉は離れ、殺生丸はゆっくり岩場のほうへと歩き出す。
 犬夜叉もまた身を潜める為、この場所からは離れなければならない。眼も合わせないまま互いに背を向け歩き出した。
 殺生丸は人間になった犬夜叉の姿を終始その眼に映すこともなく・・・

 だが。そう思われたとき、殺生丸は急激に後ろへ引き込まれた。

「!!」

 抵抗する間もなく目にしたのは間近に迫る犬夜叉の顔。

「・・・っ・・・」

 入り込む舌が牙をかすめる。
 熱い。
 半妖の姿でも人間の姿でも。犬夜叉の身体は熱い。
 口付けから伝わる身の内の熱。

 殺生丸の腕が無意識にその黒髪に触れ犬夜叉の背に回ろうかという時、犬夜叉の唇は離れた。

「・・・・・・、」

 相手が何か言おうとした次にはバッと背を向け、歩き出した犬夜叉。
 黒い姿が溶け込むように暗い森の中へと消えてゆく。

「・・・・・・」

 無言でその姿を見届け、殺生丸も踵を返した。

 馬鹿な男だ。
 こんな自分を愛しても得られるものは何もないだろうに。

 別れたりんたちのこと、これからの己のこと・・・そして犬夜叉。
 殺生丸の胸の内を様々な想いが交錯し、金色の眼から一筋涙が頬を伝った。
 でもそれは哀しみからではない。

 それぞれの想いを抱えて朔の夜は更けてゆく。









 夜明けの森。

 これまでと変わらず滝近くの水辺で休んでいた殺生丸は、近付くにおいにふと顔を上げた。

「犬夜叉・・・・・・」

 どうやら無事に夜を越せたらしい。
 闇に身を潜め、じっと夜明けを待つ半妖。・・・哀れな事だ。

 そう思いながらも、殺生丸には犬夜叉の居場所が手に取るように判っていた。
 他の妖怪の鼻を誤魔化せたとしても殺生丸は犬夜叉の兄。同じ血を引く者。
 まして犬妖怪であり鼻の利く殺生丸。人間となった犬夜叉に殺生丸のにおいを感じ取れずとも、殺生丸は犬夜叉のにおいを感知出来る。
 女の身体になったところで依然妖力は他を凌駕している。
 もしも犬夜叉を襲うものがあれば、化け犬へと変化し喰い殺していただろう。
 犬夜叉を殺すのは自分。
 他の誰でもない。
 でももうそれも。今は鉄砕牙への執着も犬夜叉への憎しみも随分遠い記憶のよう。忘却の彼方へと霞んでいくようだった。


 殺生丸は目を伏せ、着物を落とした。
 襦袢だけを身に付け川の中へ静かに半身を沈める。

 もう犬夜叉は半妖の姿に戻っている。
 そして自分は・・・・・・

 昨日の情事が脳裏を掠める。
 浅ましい自分。
 やはり昨夜のうちに姿を消してしまえば良かった。・・・否、此処から姿を消しても半妖に戻った犬夜叉は自分をすぐに追うだろう。

 ・・・何故あの時、犬夜叉は行為を止めた?
 こんな身体の己の力ではきっと情欲に火の付いた相手を止められなかった。

「・・・・・・」

 逞しい犬夜叉の体。
 強引なくせに優しい指先。
 自分を舐め上げる熱い舌。
 甘い色気。

 ・・・100年共に居れば自分はこの身体で犬夜叉を・・・・・・

「!!・・・!?・・・ッ」

 胸に触れた殺生丸は眼を見開いた。

 無い。
 己を散々苛んでいた煩わしい女のモノ。
 そして有るのは襦袢の上から手を滑らせると触れる己のモノ。

「ッ・・・!!」

 腰も。足も。手も。戻っている。
 身体が。
 在るべき自分の姿に。

「・・・・・・ッ」

 細くなり過ぎていた指ももう本来の自分の指に戻っている。
 殺生丸は未だ信じられないような面持ちで己の手を見つめた。

 内から漲るような妖力さえ感じる。
 それもそのはずだ。
 殺生丸の膨大な妖力はそれ相応の器があってこそ適応する。
 いくら当人の身体には違いなくても花のせいで、いわば余所からの働きで女へと変わった身体。身体が妖力に付いていかない。
 心身が順応しきれず、殺生丸の体調が優れなかったのもその為だ。

 でも今はこれまでの不調が嘘のように身体が軽い。

「・・・・・・」

 何故・・・・・・

 犬夜叉とは交わっていない。
 憑いた花は離れず、元に戻る為の条件も満たさなかった。

 何故だ。

 条件は朔の夜までに真に己を想う者と結ばれること。
 真に己を・・・

 ・・・“真に己を想う者と結ばれる“・・・・・・

「・・・・・・!」

 あの時互いに行為を止めることを望んだ。

 もしや・・・・・・・
 花のいう“結ばれる”とは・・・

「・・・ふ・・・、ク・・・・・・」

 殺生丸は小さく笑った。
 嘲笑しているのではない。
 花が離れる条件・・・その本当の意味が解ったからだ。

 “結ばれる”とは、体を繋ぐ事ではなく―――――――――――




 その意味に気付いた時、すぐ傍に半妖の弟の気配を感じた。

「殺生丸。」

 水辺に佇み自分を見つめる赤い影。



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